超絶可愛い女装メイドの居るお店
男の娘カフェ&バー NEWTYPE
営 業 日:月曜~日曜・祝日
営業時間:18時~23時 (金土は~翌5時)

10/10 ヨギボーのビーズクッションの秘密④

うゆです。

クリロナがPayPayやってないみたいなので、お金はいったん私が払ってあとで回収します。

 

 

 


 

 

「長々と年寄りの話を聞いてくれてどうもありがとう。こうしてお話することなんて久しくないですから、つい話しすぎてしまいました。別にどうということのない話です。すぐに忘れていただいて結構です。」

 

 

私はしかし、館長の語りはあくまで語りであって、ただの老人が手頃な若者を捕まえてするような、毒にも薬にもならない誇張された嘘混じりのよもやま話とは決定的に異なっているように思った。それはおそらくその語りが、語られることそのものへの切実な要請を含んでいて、デザインが現実的に建築されることによってはじめてその機能を発揮するようになるのと同様、「誰かに向けて語る」という行為においてようやく成立しうる類のものだったからだろう。有象無象の「はなし」とそれとを決定的に分つものとは、とどのつまり何を語って何を語らないかという点であり、おそらく老人の語りの中にはあえて語られなかった事実が多分にあるのだろうが、それらは語られなかったという事実そのものによってはじめて意味をなすのだ。だから私はその話を受けてなんとか自分に当てはまりそうな教訓を見つけることもなければ、くだらないと切り捨ててさっさと帰り支度を始めてしまおうとすることもなかった。ただ老人の体に溜め込まれていた語りへの強烈なモチベーションに圧倒され、胸を詰まらせ、その深みから一旦自分の現実へ立ち戻ろうと心を研ぎ澄ませた。語りに合わせて徐々にいきいきと運動するようである老人の体、声、そして部屋に沈澱していたはずの空気の華麗な旋回といった要素は、語りを一層リアルな質量をもったエネルギーへと進化させ、私たちを振り回し、酩酊させた。そして、そのようにして行われる語りは、まるで祝祭の雰囲気が人から人へと無言のうちに伝播していくように、それを聞いた人にも受け継がれていくのだ。その日の場合、バトンを受け取ったのは彼女だった。彼女は、誰に促されるでもなく、一度に大量の水を注がれたコップから当然水がこぼれ出てくるように、自分の中にいっぱいになったようである語りのエネルギーを、突然噴出させるのだった。

 

 

「中学生のとき、イワキリ君という恋人がいたわ。県大会にもよく入賞しているくらいバドミントンが得意な子で、三宮の出身だったからハキハキした関西弁で話すの。だからクラスでも人気者だったし、彼の周りにはいつも人が絶えなかった。どうして私が彼と付き合うことになったのかなんて覚えていないけど、私たちの中は基本的に良好で、授業中にこっそり手紙を回しあったり、週末の予定が合えば少ないお金で行けるだけ遠くの街まで行って、特に何もしないでぶらぶら散歩したりしていた。私はママが厳しかったし、彼の場合はバドミントンの習い事が忙しかったから、二人で会える時間は少なかったけれど、その中でもお互い時間を見つけて、ひどく純粋で、だけど少しだけ秘密めいた、身長よりほんの2、3センチだけ高いところの親密さを二人で冒険していたようにおもう。そんな折、彼がうちに遊びにいきたいと言い出した。私は反対したわ。私の家は母子家庭で、狭い1DKのアパートに女二人で住んでいて、生活感そのものって感じの部屋だったから。だけど彼は行きたがった。君のような女の子がいつもどんな場所で生活して、どうやってそんなふうに育ったのか、少しだけ知りたいんだ。君はあまり僕に本当のことを言わないから。もちろん僕の家に来てもらっても構わない。だけど、まずは君のうちに行きたい。私は渋々承諾したわ。自分が彼に対してあまり自分をひらけていないというのはもっともな指摘だったし、それは二人の関係において私が明確に抱えていた負債だと思ったから。少なくとも、彼は大抵私に対して率直で、大きな隠し事もしていないように見えた。彼が来たのは11月23日の木曜日。勤労感謝の日ね。祝日にしたのは、ママが仕事で家にいないことが事前に分かっていたから。ママにはこの関係を教えていなかったわ。教えたとしても怒られるに決まっているしね。朝から細かい雨が降って、厚い雲が空中を覆ってなんとなく暗い感じのする1日だった。ママに怪しまれても困るから私は部屋をほとんど掃除できなかったけど、イワキリ君はそれを汚いだとか狭いだとか言ったり、冷やかしたりはしなかった。快活な中学生の男の子にしては、彼は思慮深くなるべきところをよくわきまえ、人に対して自分なりに精一杯の礼儀を尽くそうとできるような人だった。賞味期限切れのチーズや脱ぎ捨てられたブラジャーなんかの散らかった部屋の隅に、私たちは2人座り込んで、何時間も取り留めのない話をした。遠い南の島で起きた大地震のこととか、動物園の逃げ出した猿のこととか、とにかく話しても話さなくても何も変わらないような話を。薄暗い部屋に2人身を寄せあって、イワキリくんは地球最後の日みたいだと笑った。地球最後の日は私と過ごしたいと思う?分からないな、家族かもしれない。私が好きじゃないの?好きだよ、でも僕が本当に好きなのは、もしかしたら君と一緒に世界の不可解な領域にそっと指先を差し込んでみることそれ自体なのかもしれない。彼はやっぱり私に対して、常に残酷なまでに、正直でいてくれたわ。私はそれを悲しいとは思わなかった、むしろ嬉しいと思った。彼にすごく愛されていることの幸福感で胸がいっぱいになった。私はどうしたらこの気持ちを彼に返せるのかしらと思いながら、でもそのやり方が分からなくて苦しかった。だからせめて彼を力の限り抱きしめてあげることにしたの。彼が死んでしまうくらい強く。でも彼の体温は私よりずっと高くて、体だって中学生の男の子らしくたくましかったからどう頑張っても殺せやしないんだと気づいて、それから私もこんなふうになりたいと思った。こんな体に生まれれば、授業中に貧血で倒れてしまうこともないし、生理痛でベッドから出られない日もない。私はまだ中学生で、自分が女であることに少し疲れすぎていたのね。イワキリ君は私よりずっとしなやかで引き締まった腕を私の肩にそっとまわして、しばらく肩をさすってくれた。ひどく不格好で、躊躇いがちな愛は、だけど限りなく純粋で、静謐な重さを含んでいた。そのときだったわ。突然ママが帰ってきたの。いつもなら帰ってくるような時間じゃなかったから、きっと祝日というので早くあがれたか何かしたんでしょう。とにかくママは私たちを見つけるなり半狂乱になって、2人を乱暴に引き剥がすと、イワキリ君に今すぐ部屋を出ていくよう言った。彼は何か言いかけたけど、結局私におずおずと手を挙げてそのまま出ていった。彼が出ていったあともママはひどく取り乱しているように見えた。しばらくイワキリ君の悪口、害虫だとか、油断も隙もないとか、とにかく聞くにたえない言葉を並べ立てて、しばらく呼吸を落ち着かせるみたいに壁に手をついて目を瞑りながら黙りこくったあと、私に今すぐ産婦人科へ行くように言った。そんな馬鹿な話がある?私は耳を疑ったけど、ママは聞く耳を持たなかった。とにかく行けの一点張り。年頃の男と女が部屋で2人抱き合って他に何をしていたっていうの?ママの中ではすっかり物語が出来上がってしまっているようだった。私はこうなったときのママにもう何を言っても無駄だって分かってた。ママは基本的にすごく親切で、公平で、私のことを愛してくれていたように思うけれど、残念なことにときに愛しすぎてしまうことがあったのも事実だった。母さんがそのように言うのは私を愛してくれていればこそだというのは分かってはいたけれど、それでもやっぱり私は悔しかったし、何よりすごく恥ずかしかった。ほかならぬママに自分が女だと思われていたのがたまらなくおぞましいことのように感じた。私は確かに生理もあったし、胸も同級生に比べれば大きい方だった。でもママには私のそういった変化を見てほしくはなかった。つまり、女としてあるには幼すぎて、子供としてあるには成熟しすぎていた、中学生の私はそのような発達のちょうどひずみの中間にいたの。女としてあることの恥、子供としてあることの恥、その二重の網目にからめとられるようにして、私は信じられないほど繊細で、疑り深く、その実空虚な少女だった。そんな私が産婦人科へ、つまり男という存在に対する女として自分自身を同定するねじろへ行くということ、それはとにかく、なんというか、言葉に尽くしがたい経験だったわ。そこで私たちは、女が自分の身体の正確無比な管理者として生まれ、生き、死んでいく存在であることを知らされるの。毎日体重を量り、バストサイズにぴったり合致するブラジャーをつけ、ショーツでおしりの形を整え、ぴったりしたジーンズに両足を押し込み、予めこうと定められた美しさの基準に近づくよう顔に色を塗りたくり、髪を結い、馬鹿みたいなパンプスの痛みに耐えながらおしりをふって街を歩く。毎月生理周期を把握し、ナプキンを何回も何回も取り替え、自分がいまどれくらい妊娠可能な状態であるかを確認する。体型が変われば次の下着を、生理が来なければメンテナンスを、そんな無数のチェックリストを毎日毎日完璧に埋めて、女はようやく人でいられる。そのような宿命を、物心がついてから大人になるまで、普通の人ならゆっくり時間をかけて受け入れていくの。しかしあの日の出来事は、私にそれを一瞬にして、完膚なきまでに、教育しきってしまった。私は打ちひしがれ、抱えきれないほど巨大な恥の外套を道いっぱいに引きずりながら、気持ちの整理もつかないままうちに帰った。もちろん体に変わったところなんてあるはずもなかったわ。イワキリ君と私には、あの不器用なスキンシップよりほかに心を温める方法なんて何一つなかったのだから。」

 

 

彼女の語りのエネルギーは留まることを知らないようだった。今になって思うと、あの素晴らしい午後の、浅煎りコーヒーの香りに満ちた暖かく快適な部屋で結ばれた語りの交換は、確かに互いの話し言葉による会話という体をとってはいたが、それを間で見届けていた私の目には、それはむしろ書き言葉による手紙の交換というのに近いように映った。それはおそらく二人がそれぞれ男として、あるいは女として長い時間を生きざるを得ない中で、自らの中に毎晩行われる自分自身との不断の対話によって、複雑に絡まり合った意志を相手に伝達するものとしての言葉の形に置換する作業を延々と行なってきたのであり、したがってあの場所で二人が行なっていたことは新しい意志や言葉の創出などではなく、日々の内面的な営みの中にあらかじめ醸造されていた夥しい量の言葉を、ある程度正確な時間軸に則って並べ直し、相手に向けて投函する作業に過ぎなかったからなのだと思う。彼らは通常の会話とは異なり、導入から結論に至る語りの道程の中で何か新しい言葉に出会い、それを新しい友として自らのうちに住まわせることはせず、語り始める前から自分のうちに言葉同士の完全な道順を作成し、口を開くと同時に結論をもまた見据えているような話し方で、相手の言葉に対する返答としようとしたのだ。だから私は二人の対話の中に、優れた対話が往々にして生み出す、言葉と言葉がぶつかり合って美しい火花を生み、それが神秘的な土台となって次の言葉をさらに上方へ押し進めていく、目の見張るような現象を見ることはなかった。それはつまり互いに死を控えた老練の作家同士の往復書簡のようなものに近かったのかもしれない。

 

 

つづく

 

 

【今日の1曲】