うゆです。
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今日は幽遊白書の夢小説を発表します。
せこいので2編に分けたいと思います。
その日は結局この夏で最も暑い一日となった。明け方にはそこまでかと思われた気温は正午に近づいて日が高くなってくるにつれぐっと上昇した。鮮やかな群青色をした空の向こうには巨大な積乱雲が夏の日の手本を示すように悠々と広がってい、鬱陶しい蝉時雨は暑さに脳が痺れて溶けていく音のようだった。
井の頭公園の時計台はちょうど午後2時を指そうとしている。戸愚呂妹と私はベンチに並んでふたり静かに座っていた。三鷹駅からここまで歩く間にこれといった会話はなく、全身から吹き出す汗が皮膚中を伝う不快さを紛らわす手段もないまま、私は彼女と何の気なしにこのベンチに座ったのだ。彼女は黒い服を着て黒いパンプスを履き、黒い日傘を差していた。あるいは下着一式もまた黒色なのかもしれないと私は思った。戸愚呂妹は2人の兄たちに少しも似てはいなかったが、鋭くとがった鼻先だけは彼ら兄弟全員に共通しているようだった。
私は二人の間に結ばれた気詰まりな沈黙から何とか逃れようとしてその支柱に乱暴に立てかけられた子供用の自転車を見つめる。見たところそこまで古びてはいないようであるそれの、黒い荷物カゴは風雨で劣化したのかところどころくすんでひび割れていた。しばらく見ていた限りでは自転車の持ち主がそれをとりに現れる気配はない。そのとき私は今日が平日であったことを思い出した。持ち主は今頃学校に行っているのかもしれない。
さすがにこの猛暑で広場は閑散としている。 いつもならジョギングをしている人も決まって2、3人くらいはいるはずだったが、こんな日に外を走ろうなんて思う酔狂な人間は少なくともこの近隣には1人も住んでいないようだった。初老の女が私たちの前を何も言わずに横切った。厳密に言えばその人はサンバイザーを被って口元を布のようなもので覆い、腕にも厳重なアームカバーを着用していたために年齢や性別を判別するのは困難だったが、それほどまでの日焼け対策をするからにはその人はきっと初老の女なのだろうと私は見当をつけたのだった。彼女は痩せて毛のないゴム靴のような小ぶりの犬を3匹リードに繋いで歩かせていた。はじめ私は歩き方からその3匹のことを貂か何かだと思った。しかしその実彼らは太陽光の熱エネルギーをパンパンに溜め込んだアスファルトの上を素足で歩くのが苦しいだけだったのだ。残念ながら底の厚く履き心地の良さそうなナイキのサンダルを履いた女に彼らの苦痛は決して伝わらないだろう。女は女でしきりに噴き出てくる汗を拭き拭き、前髪をべっとりと濡らしたままうんざりした様子でスタスタと早いペースで歩き去っていってしまう。その後ろを早足で付き従っていく獣達は成型肉のようなわざとらしいピンク色をした舌を大きく露出させ、よく熟れた南国の果実のように張り詰めた筋肉をプリプリと波打たせながら、半ばリードに引っ張られるようにして歩く。こんな日にさえ裸足で歩かなければならない犬はつくづく惨めな生き物だと思った。それに、二本足の猿たちが闊歩し、喚きひしめきあう汚らしい都会の中で、自分だけ四本足で歩くのというのは一体どんな気分なのだろうか?きっと犬は人間の様々な形をしたふくらはぎだけが踊り狂う夢を毎晩見ているのだろう。
戸愚呂妹が小さく鼻を啜った。私はふと思い当たってジーンパンツのポケットに手をやる。そこには消費者金融の社名が印刷されたティッシュが入っていた。今朝ここに来る途中に駅前で若い女が配っていたのをもらったものだ。ノルマを早く達成したいのか彼女はティッシュを一度に三つも重ねて道行く私に突き出してきた。彼女は暑くなる前に無事ノルマを達成できただろうか。小さめのリクルートスーツをややぎこちなく着崩した彼女の鈍臭く平べったい鼻がなぜか脳裏をよぎった。
「これ」
と言って私はティッシュを戸愚呂妹に差し出す。ありがとう、と素っ気なく言って受け取る彼女。私は彼女の方を見たが、彼女は私の方を見ようとはしない。そのままティッシュを引き出して、大きな音を立てて鼻をかんだ。C級妖怪の断末魔みたいな音。顔をしかめてティッシュを丸める彼女の鼻はそこだけファンデーションが剥げてやや褐色の地肌が覗いている。
「風邪をひいたのか」
「ええ。エアコンをつけたまま寝たの。」
「昨日は、ホテルか」
「そうよ」
広島に住んでいるという彼女は先日の暗黒武術会で死亡した兄の通夜のために東京を訪れていて、記憶が正しければ確か新宿御苑前のビジネスホテルに滞在しているという話だった。
「ホテルなら電気代が気になることはないでしょう?むしろ、高い宿泊料を払っているのだから少しでも無駄遣いして元を取っておきたいの。だからお風呂の蛇口もひねりっぱなし、電気もつけっぱなし」
私は否定も肯定もしなかった。ただそういう考えもありかと思った。私は今日彼女と会うのははじめてだったし、いちいち好きだとか嫌いだとか判断するくらいの思い入れも特段彼女に対してはなかった。たまたま私が彼女のプロフィールを左側にスワイプして、たまたま彼女も私のを同じようにした、ただそれだけの話だった。毎日何十回と繰り返される「マッチング」に、そのたび仰々しく画面いっぱいに表示されるハートのエフェクトと同じほどの愛情など存在しない。スーパーの鮮魚コーナーで、什器に並ぶたくさんのパックをカゴを片手に眺めながら、今日はどの刺身を食べようか微妙な血合いの様子や色を見て何となく選択する程度の興味と欲望だけがそこにはあるのだ。
「あなたはこの辺りに住んでいるのよね。」
「そうだ。ここから久我山の方へ20分ばかり歩いたところさ」
「いいところに住んでいるのね」
「場所だけでいえばね。実際は築40年のつまらないワンルームさ。男一人でそんなところに住んでいたって人生が上滑りしていくような予感なんて微塵もみいだせそうにない。」
私は鼻を鳴らした。
「仕様のない話だ」
彼女はそれに答えなかった。その代わり
「ねぇ、ひとつだけ質問してもいい?あなたも私に一つだけ質問していいから」
と言った。黒いパンプスを脱いで足をぶらぶらさせながらつま先を見つめる戸愚呂妹。素足かと思ったが指の間をよく見るとどうやらパンティー・ストッキングのようなものを着用していることが分かった。微かに蒸れたような匂い。私は少し考えて答える。
「内容によるけどね。例えば、年収とか、あるいは学歴とか、そういう意味のないことにはあまり答える気がしない」
「安心して。私が聞きたいのはそんなことじゃないわ」
また足をパンプスに押し込む。
「あなたって男の人を好きになったことがある?」
「どうして」
「どうしてそんなことを聞くのかって、それこそ意味のないことじゃない?」
彼女は私のやや狼狽えたような声を遮って少し笑う。口の端に覗く犬歯は、夏の日差しを跳ね返してあまりにも、白い。私はポケットからタバコとライターを取り出す。
「嫌じゃないか」
「ご自由に。上の兄はところ構わず吸う人だった。」
私は箱からタバコを取り出し、咥えて火をつけた。これまで何千回と繰り返してきたのと全く同じ動作。あるいは、作法。眩い光の中に拡がってゆく煙は誰かに取り憑くことを諦めた幽霊みたいで少し切なかった。肺いっぱいに煙を取り込み、少し循環させてから勢いよく吐き出す。射精の瞬間の目眩に似た白昼夢の恍惚。仕方がない。私は意を決して彼女へ誰にも話したことのない記憶を打ち明けることに決める。恐らく彼女と私はもう二度と出会うこともないだろうという投げやりな自閉が、皮肉にも私の重い口を開かせたのかもしれない。
「実のところを言うと、ないとは言えない。一度だけ、ある。聞きたいか?」
「もちろん」
かれこれ20年以上も前の記憶を辿りながら私は話し始めた。
「松村という男だ。私と松村は大学で同じ演劇のサークルに所属していた。」
またタバコを口に運ぶ。松村のことを思い出すのは随分久しぶりだった。
「松村は私の一学年後輩だったが、浪人していたので歳は同じだった。彼は背が高く色白で、顔が綺麗だったので女にはよくモテたが、話を聞いていた限りあまりいい遊び方はしていないようだった。私は彼に酷い目に遭わされた女たちの噂話を時々耳にすることがあった。酒の勢いで性行為を迫られたとか、それに抵抗したら殴られたとか、そんなような話だ。彼はまた男たちからの評判も悪かった。貸した金は返さないし、人の女にも平気で手を出すような奴だった。とにかくそんな話を散々聞いていたから、私も松村とは極力関わらないように努めていた。私まで変な噂を立てられたらたまったものじゃないからね。だが、次年度の新入生歓迎公演のためのコンペで、私は彼と同じ役の座を巡って争うことになった。」
「嫌な男」
戸愚呂妹は楽しそうに相槌を打ち、また鼻をかんだ。
「立候補者は私たちふたりだった。私は3年生、松村は2年生で、私は春からサークルの役職につくことになっていたから面子のためにも負けるわけにはいかなかった。シェイクスピアのオセローの役だった。コンペは候補者が順に一人づつ監督と演技指導担当の前で演技を披露するという形式だった。準備期間は1週間で、私はイアーゴーの同じくコンペに参加する生徒と何度も練習を重ね、万全の状態でコンペに備えた。一方松村はサークル内での評判もあってか練習相手も見つけられていないようだった。監督も演技指導も私の親しい友人だったから恐らく負ける心配はないと思った。それに、デズデモーナの役を私の恋人が演じることも確定していた。負けるはずがなかった。」
タバコを深く、深く肺に入れる。夏が臨海に達しようとしていた。時計台の劣化したプラスティックは激しい日光を鋭く照り返し、しかしその根元から斜めに伸びる影は宇宙の果てのような暗黒を留めていた。
その光景を前にして、私の思考は滑らかに、ある単純なひとつの真理に到達する。つまり、光が強くなればなるほど、影もまた深さを増してゆくのである。まさに浦飯幽助の霊丸の輝きが、一方では戸愚呂兄弟の霊力を強大なものにしてしまったように。輪郭を鋭く切り立たせて互いに拮抗する生命そのものの色は満ち足りて烈日の草原いっぱいに飽和し、焼け爛げた草木のむっと鼻をつく匂いがそこら中に立ち込めていた。全き完全な生のもとでは、やはり死も完全なものとなるはずであろう。私は今なら死んでしまっても惜しくはないと思った。
そのとき、戸愚呂妹のカバンで携帯電話が鳴った。彼女は画面を一瞥し、ちょっと、というように手刀を切ると席を立って私の聞こえない声で電話の先の誰かと通話をはじめた。私は彼女の表情しか伺うことができなかったが、その瞳孔が徐々に見開かれていくのは分かった。彼女は電話を切り、放心したように腕をだらんと下げたまましばらくそのままでいた。光に満ちた公園に日傘をさして立ちすくむ黒づくめの女。空からヘリコプターのローター音がやかましく響いていた。回転翼に切り裂かれた紫外線の螺旋状に降り注ぐ午後に、彼女は恐らく計り知れない喪失を経験したのだ。きっと私にも、また他の誰にも決して覗き込むことのできないほど暗く深い憂鬱に満ちた喪失。兄の死にさえも決定的に失われることのなかったはずである彼女の精神の中核をいとも簡単にバラバラに砕いてしまったのは一体何だったのだろう?
彼女はしばらくなんの感情も示さないままそこにじっとしていた。やがて時計台のもとへ小学生くらいの男の子が二人歩いてきて、そのうちの一人が根元に立てかけられた自転車の鍵を開けると、二人は笑い声をあげながら自転車を押してどこかへ行ってしまった。気づけばもう午後3時を回っていた。
私はこれでまた公園がまたふたりぽっちになってしまったと思ってやるせない気持ちになった。そしてそれは彼女とて同じだったのかもしれない。戸愚呂妹は不意にこちらを見た、そしてすぐに目を逸らして踵を返すと、そのままオーバーフローした真っ白な光の向こうへ消え、もう戻ってくることはなかった。
【今日の一曲】