以下の文章を読んで、問題に答えなさい。試験時間は40分です。
梨木香歩『西の魔女が死んだ』を久々に読み返していたとき、その解説のとある一節に目を惹かれた。
「庭があるお家ならば庭でいいですし、無ければ、近くの公園などへ行って、そこの土や草の上に、裸足で立ってみてください。」(早川司寿乃「解説」『西の魔女が死んだ』梨木香歩著、新潮社刊、2001年、226頁参照。)
これは、無数の化学物質、生活のa.カンゲキを埋め尽くす情報の波、あるいは面倒な現実を忘れさせてくれるヴァーチャルな仮想世界といったようなもので構成された、文明という厚い被膜に取り囲まれて生きる現代人のb.モードに対するひとつのアンチテーゼだ。私たちはときに文明の傲慢なバリケードをぬけだし、自分が生命の、自然の一部としてあることを思いださなくてはならない。最後に土を触ったのはいつだろうか。不意にふりつけた雨に舌打ちをするよりもまず、その意外な冷たさに新鮮な驚きを感じたのは一体どれくらい前のことだっただろうか。①人間の果てしない営為が長い時間をかけて築き上げた文明は、我々を自然のもたらすあらゆる不快から救い出すのと引き換えに、地球の大きな循環から我々を強引に切り離し、それがもたらしてくれていたはずの素朴で原始的な喜びをすっかり忘れさせてしまった。私たちはみな、子供から大人になるにつれて世界の意味を少しづつ知るようになる。現象の一つ一つを理性で細かく切り分け、名前をつけ、意味どうしで結びつけることによってそれとの適切な距離を測ろうとする。しかし、その行為は、同時に世界本来のすがたである不可解さと決別し、未知という素晴らしい期待の感覚を忘れてしまうことをも意味するのだ。
もちろん、私たちが完全に文明を否定し、自分の力だけで生きていくことは不可能である。文明が私たちに保証する安全と快適さを今更手放すことは誰にもできないし、手放したところで3日と生存は不可能だろう。だが、同様に自然というものの一切を拒むこともまた、私たちには不可能であり、②不健全な態度なのではないだろうか。
自然と決別したものとしてある近代文明は、それを手際よく商品化すると、休日か何かに向かうべき別世界のようなものとしていつの間にか綺麗にパッケージングしてしまった。自然はタバコや電化製品といったものと同じ人間の消費欲の矛先として、今や値札付きの棚に並んだ一商品でしかなくなっている。一面のネモフィラ畑、グワムの青い海、ジブリみたいな農村、どれもこれもマーケティングされた虚像である。
本来自然というのはそれほど私たちと離れてあるものではない。感じるのは簡単だ、庭へ出て、しゃがんで、土の匂いを嗅げばいい。途端に季節は鼻腔へ宿る。開花を待つ植物の疼きが、虫の死骸が分解されて立つ微かな腐臭が、昨晩の雨の蒸れた湿気が、軽やかに混じりあってひとつの空間をかたちづくる。そしてその中に自分もまたひとつの器官として存在し、接続し、自然というものの大いなる饗宴に参加している、そうした実感をもつことこそが自然を感じるということになるだろう。
ドキュメンタリー映画『阿賀に生きる』(1992)で、佐藤真はかつて水俣病の発生した川の流域に生きる人々の素朴な姿を、ドキュメンタリーというにしては極めて愛情深く映しとってみせた。彼らの生活からは文字通り地に足がついた質実な印象を受けた。家、仕事、祈り、その営みの全てが地面と一体になっていて、人間本来の背丈以上の豊かさを無理に求めようとしていない。大枠では何ら変化のない日々の、極めて微かな変化を五感で鋭く察知し、自然と平衡してあり続けるための記憶とする。彼らは人間であり、それより命であり、それより自然だった。私はその姿に強く心を打たれ、エンドロールが終わってなおしばらく呆然としたあと、明転したシアターをゆっくりとあとにした。外へ出ると、初秋の日差しはじんわりと私の肌を焼いた。③私はそれでいいと思った。
池袋のプロムナードを歩きながら例の冒頭の一節を友人に話したときだった。友人は少し笑ってからおもむろにサンダルを脱いだ。「結構熱いよ、犬の気持ちが分かるかも。」躊躇いなどないようだった。それから私の手を引いて、お前も、というふうに目配せをした。西に傾きかけたまっすぐな日差しを受けて、彼女は天使みたいだった。これが君のいい所でもあるし悪い所でもあるんだよと私はため息をついて無抵抗に裸足になった。指でつまんだ靴のかかとは汗で少し湿っていた。夏だった、アスファルトが足の裏を激しく焼いて、私たちは足をひょこひょこと忙しく動かして首都高のバイパスが重なり合った日陰へと退避した。私は小さなころ家族でサンビーチへ遊びに行ったときのことを思い出した。サンダルを海に流された兄が広大な熱砂の上を裸足で歩くのに難儀していたので、私は自分のサンダルを片方兄に貸して、2人でケンケンをしながら親の待つ海の家へと急いだのだ…。
私と彼女は日陰の石段に腰掛けて少し雑談をした。足の裏はひんやりとして気持ちが良かった。私は学生時代のクラスメートの訃報を知ったばかりだった。ずる賢いが、隙があって憎めないやつだった。それを聞いて以来、私は心が萎縮して身体との間に薄い隙間ができてしまったように感じ、その空間を充たす冷気が常に心を凍えさせているような、逃れようのない不満足と恐怖の感覚を持て余していた。そんな私に、友人は裸足の足をぶらぶらさせながら言った。
「死ぬっていうのは、世界になるってことじゃないのかな」
「どういうことだろう」私はきょとんとして訊いた。
「つまりね、私たちはもともと世界に散らばっていた元素とか、物質とか、誰かのとりとめもない夢想とか、そういったものがランダムな輪郭をとって結ばれることで、つまりひとつの環として括られることによって誕生すると言えるのじゃないかしら。世界の中にまたひとつの小さな世界をかたちづくるようにして…。そして死というのは、反対に、その環にとうとう穴が空いて、私たちが自分の中に閉じ込めていた世界の何もかもが、またこの大きな世界の中に流れ出していくことを意味するのよ。生という限られた時間に醸造された思想とか愛情だとか、そんなものも全てね。かつて世界だった私たちは、定められた短い時間でほんのちょびっとだけ世界に色を加えて、そうしてまた世界に戻っていくんだわ。だから、あなたが今こうして熱いだとか冷たいだとかを足の裏に感じているということは、これまでに死んでいった全てのものと接続しているということを意味するのよ。もちろん、その友人も例外でなくね。私たちは死に囲まれて、死を吸って吐いて、死という大きなプールの中でこうして言葉を交わしている。ねえ、生きているのと死んでいるの、どっちが本当の私たちなのかしら。」
そう言って彼女は大きく伸びをした。日はすでに傾いていたが、残暑は依然私の背中をじっとりと湿らせていた。
「ねぇ、横断歩道を渡ってみない?アスファルトと白線で、どんなに温度が違うか試してみたいの。」
私たちは駆けていって、信号が青に変わるのを胸を高鳴らせながら待った。その間、私は電柱を抱いて、潅木の匂いをかいで、彼女と手を繋いだ。その全てがいつかの友であり、その死であり、かつて私だったものなのだ。私はそれだけのことが嬉しくて嬉しくてたまらなかった。そして、信号が青になった。
黒、白、黒、白、私たちは誰かが几帳面にひいてくれたそのc.カンソな交通記号を、ピアノの鍵盤を叩くように、深く刻まれた二つの世界の境目をまたぐように、一歩一歩慎重に踏み越えていった。案の定黒いアスファルトはひどく熱くて、白いペンキはそれがいくぶんか優しかった。私の感覚は忙しない転換の間で跳ね回り、その全てを詳細に知覚し、記憶しようとした。なんのことはないただの横断はいまや冒険だった。私たちは発見した。世界と接続することの驚きを、世界が今ここにあることの喜びを。
アスファルトのガラスが西日を反射して綺麗だった。私たちは星空を踏み越える巨人になったような気分で、裸足のままどこまでも進んでいった。自分が世界に還るいつかの日まで、ずっとこうしていたいと思っていた。無数の死を透かして、西日は不気味なほど大きく、そして美しく私たちを照りつかせていた。
(うゆ『ときには靴を脱いで軽やかに』Newtype出版、2025年より)