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Crossdressing Maid Cafe & Bar
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(日本語) 5/22 そうだ 箱根、いこう②

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ういなさんはポケモンの都市伝説について書いた作文で直木賞を受賞した。

 

 

ホラーイヴェント。

この前ちさとがきさらぎ駅前のなか卯で牛丼を食べているのを見た。

 

 

 

せりにゃん生誕。

小学生時代のせりにゃんのランドセルは青銅製。

 

 

 

 

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温泉に浸かって体を温め、なんとか鼻水を止めようと画策した私は、タオルと洗面用具をまとめると、そっと部屋を出て閑散とした廊下を歩いた。瀟洒なステンドグラス越しに差す清浄な光。カーペット敷の廊下をゆく足音は秘めやかにくぐもり、いそいそと歩く私の衣擦れの音がせわしく響く。カーペットを踏みしめるたびにホコリが舞い、それらは朝日に照らされて時間が止まったようにいつまでも空中を漂っていた。2人はまだ寝ているだろうか。この朝の廊下を知ることもなしに。私はちょっと得意になった。この時間に、この空間にいたという実感をいつまでも独り占めにしていたいと思った。

 

 

部屋へ戻ると2人はまだまどろみの中にいた。メイクを終え、髪をセットした。慣れない場所で、おぼつかない手つき。9時を10分過ぎている。2人が起きる気配はない。どうせならこの一人の時間を満喫させてもらおうか、私はまた音楽をかけてコクトーの詩を一、二篇読んだ。薄いカーテン越しに太陽が少しづつ昇っているのが分かる。ガラスのテーブルは呼吸をする獣の腹のようにほんのり暖かく、見る角度を変えるたびにキラキラと光った。はだけた帯をそのままにして寝ている2人。その表情は襖の影になっていてよく見えない。テーブルの上では昨日の饗宴の気配だけが抜け殻となって冷えている。ドアの向こうで誰かの慌ただしく駆けていく気配がした。しかし、この部屋には依然として惰眠の間延びした感覚が意固地に浮遊していて、そのしどけない帯は再び私を搦めとって夢の世界へと誘おうとしていた。

 

 

 

チェックアウトの15分前に起き出してきた2人は慌ただしい様子で準備を終え、私たちは荷物をまとめるのもそこそこに部屋を出た。宿を去る瞬間のあの寂しさはなんだろう。たった一晩の寝床、部屋にあるものは何ひとつとして自分のものではない。しかし最後に部屋を出ようとするとき、ふと微かに後ろ髪を引かれるような、言葉にしようのないくらいの名残惜しさが私を引き留めようとする。それはあたかも、おし黙った小さな子供の、親の背中へ向けられる不器用な眼差しがそこに存在しているように。

 

 

まことの運転する車は小田原、湘南を過ぎ、鎌倉へと向かった。途中でアイリがヤシの木を見つけてはしゃいでいた。

 

 

鎌倉では生しらすの海鮮丼を食べた。生しらすに釜揚げしらす、いくらまで乗った贅沢な海鮮丼だったが、個人的にはえんがわが美味しかった。(ちなみにえんがわは韓国語でえんがわというらしい。)

 

ただやっぱりご飯の量は増やしてほしい。具がおいしいのでご飯が足りなくなってしまう。とにかく生しらすが食べられてよかった。3人でカキフライもシェアした。海鮮丼もカキフライもとっても美味しかった。

 

 

 

店を出て小町通りを歩いた。ここへ来るのは高校生ぶりだったからずいぶん懐かしい感じがした。以前と比べて海外からの旅行客の姿が目立つが、観光地は賑わいがある方がいい。2人はおだんごを食べ、私は抹茶のソフトクリームを食べた。聞くところによるとおだんごが激烈に美味しかったらしい。ソフトクリームはコーンが美味しかったです。

 

 

 

それから車は高徳院へ。どんな場所かお分かりになるだろうか。釈迦が初めて説法を行った場所?それはサールナート。高徳院は大仏のあるお寺である。

 

 

違和感、というのに近いだろうか。門をくぐると突然空が広くなって、全ての中心に大仏がいる。大仏がいると分かっていたはずなのに、いざ目の当たりにするとその状況のある種の不思議さに息を呑んでしまう。大小にしてみれば当然東京のビルなんかの方がずっと大きいのだが、大仏はそこに「ある」という以上の目の覚めるような圧倒的な存在感をもっている。人でいっぱいの入場口を抜け、門をくぐった先に突然開ける空間。そのハッとするほどの広がりの中央にどっしりと鎮座する巨大な大仏。その全ての行程がまるごと演出されたひとつの体験となって、予め大仏のイメージを描いていた人々の脳内に、全く異質のものとして再び大仏を出現させる。このイメージの「再誕」の圧倒的な効果、そしてそこに生まれる荘厳な驚きと畏怖こそ、古来から大仏というものが建造されてきたことの何よりの理由なのだろう。

 

ちなみに大仏の中には入らなかった。この感動を「中はしょぼいな」という感想で裏切るのは嫌だったし、時間もなかったから。

 

 

そして結局、高徳院が今回の旅行で私たちの訪れた最後の場所となった。レンタカーの返却時間が迫ってきていたから。

 

 

輝かしい記憶を背に私たちは再び日常へ漕ぎ出す。斜陽のぎらつく首都高を昨日と反対に辿り、抗いようもなく湧き上がってくる眠気と戦いながら、時計の針の目まぐるしく進むコンクリートのふるさとを目指した。

 

 

昔風に加工しました。

 

 

 

2人のおかげでとっても素敵な体験になった。

特別遠いところへ行ったり、何日も旅を続けたりしなくても、ちょっと勇気を出して扉の向こうを覗いてみようと試みるだけで、部屋の中で腐り落ちていたはずの1日は簡単にジューシーフルーツへと変わる。それを教えてくれたのは彼らだ。
アイリ、マコト、素晴らしい体験をありがとう!2日間でたくさん迷惑をかけてしまってごめんね。2人がいてくれて良かったです。また遊ぼうね♪