ハイタイ!うゆです。
今日はかねてより自分にとっての大切なテーマとしていたジャンボリお姉さんのことについてブログを書きます。以前論説文で現代文の問題を作成したところ、大変な好評をいただき、たくさんのお嬢様ご主人様に解いていただけたのですが、その際に物語文の方が取り組みやすいとの声をいただいたため本文を作成しました。しかし、いざ書いてみると量にして10000字と問題としてはいささか多すぎる結果となり、残念ですが今回は本文のみの記載とさせていただくことになりました。可能であれば、本文を抜粋した上でまた改めて問題を作ってみようと思います。従って今回は試みに敗れた私の文章の供養ということになります。
かつてジャンボリお姉さんと呼ばれていたあなたへ。
僕らはもうエントランスを振り返らなかった。
ゲートのそこかしこで煌々と光を放つオレンジ色の照明は、終わりゆく一日のどうしようもない寂しさをなんとか優しく迎え入れようとして却ってそれを残酷に浮き立たせているようだった。僕は下唇を噛んだ、彼女は僕の手を強く握った。
どうして夢は覚めてしまうのかしらと彼女が隣で呟いて、覚めてしまうから夢なんだと僕は目も合わせずに言った。長い一日の終わりにわざわざ舞浜駅まで歩こうとする酔狂な人間は僕らをおいてほかに少ない。電灯も途端にまばらになった、夢のこと切れた断面みたいに真っ暗い舗道を僕らは歩いた。たった今乱暴に寸断され、まだひくひくと蠢いている夢の肉片。それは血液と同じ温度をして厳冬の夜をよろめきながら進む僕らに確固たる勇気を与える。温度。そう、僕らはどちらも文字通り凍えきっていて、身体が精神に対してある運命的な決断を下すために必要なエネルギーとしての温度を絶望的に求めていた。
しかしあのとき僕らはそれぞれまったく違うことを考えていただろう。少なくとも彼女は、彼女自身のすでに手放したひとつのある理想的なイメージを、僕と同じように頭の中で何度も反芻し続けるようなことはしなかったはずだ。その証拠に、S.S.コロムビア号を臨む広場を通り過ぎたときも、彼女は人々に囲まれて踊る現職のジャンボリお姉さんの姿を気に留めないどころか、ほとんど気づいてすらいないように見えた。とどのつまり、彼女のジャンボリお姉さんだったかつての姿に今もこだわり続けているのはむしろ僕の方で、僕は彼女への共感という身勝手な言い訳に基づいて、いまや万能の白昼夢のようになったそのイメージを捨て去る努力から目を背けていただけだったのかもしれない。彼女はそのような懊悩からいち早く抜け出た人間として、僕のようにエントランスを振り返ってジャンボリお姉さんとしての彼女の像に別れを告げる代わりに、それよりはるかに大きな、ずっと重要で本質的な何かへ、惜別の念をただ一心に送っていたのではなかったか。
舞浜駅へ着くと、僕らはどちらからともなく握りあっていた手を放し、お互いにごく自然な仕草で、これまで何十回と行っていたとおりにハイタッチをした。幸福だったはずの音。僕の足腰は軋んだ、僕より少し背の低い彼女は老いて重力に縮こまった身体を精一杯伸ばして手を重ねた。かつてステージで踊っていたころの面影はもう彼女の肉体のどこにもない。でも僕は努めてそれを悲しいと思わないことにした。その代わり精一杯の笑顔でさよならを言った。彼女は頷いた、そして何も言わず家路へ急ぐ人々の雑踏へ溶けて消えた。人混みにおしあいへしあいおぼつかない足取りで入り込んでゆく小さな背中。それは僕が最後に見た彼女の姿だった。
あれから約半年が経って、彼女の娘さんを名乗る人物から彼女が亡くなったという電話を突然受けとったとき、僕は帰宅途中の人々で賑わう午後6時のターミナル駅のホームで人目もはばからずに泣いた。僕自身の嗚咽に混じって電話越しに娘さんの息を呑む声が聞こえ、スマートフォンを握りしめる自分の手がぐっしょりと汗ばむのを感じた。近くを通りかかったOL風の若い女性が僕にハンカチを貸してくれ、僕はしわがれ声でありがとうを言ってハンカチで涙を拭いた。柔らかく織られた繊維の感触。それは僕がはじめてジャンボリお姉さんに触れたときのことを想起させた。
ジャンボリお姉さんが引退を表明したとき、ディズニーではそれに合わせて大々的なイヴェントが開催された。ステッカーの配布、オリジナルグッズの販売、そしてグッズの購入金額に応じた抽選で、彼女と一日ディズニー・シーを満喫できる権利が一名に当選するキャンペーン。
当時暇な文系大学生だった僕は、有り余る時間をすべてジャンボリお姉さんの応援へつぎ込むことによって、自他ともに認める彼女のトップ・オタとして界隈中に名を轟かせていた。ディズニーリゾートの年間パスポートを購入し、親を説き伏せて葛西での一人暮らしを敢行、授業やアルバイトの合間を縫ってジャンボリミッキーのダンスショーにほぼ毎日一回以上は参加した。ファストフード店でのつまらないオペレーションに耐えに耐えてようやく貯めた50万円を全てはたいて学生には分不相応な高性能のキャメラとレンズを購入し、日々撮影技術を磨きながらステージ上のジャンボリお姉さんがその若さを豊かに跳ね回らせる様子をキャメラに収めた。そのようにして撮影されたものを動画投稿サイトに投稿すると、絶好の角度から、素晴らしい画質と技量で撮影された僕のヴィデオは瞬く間に人気を集め、「カメコのカメ子」と言えば界隈では知らない人はいないほどの存在へと駆け上がっていった。
そんな僕にとってジャンボリお姉さんの電撃引退発表は人生を揺るがすほどの一大事件であった。しかしトップオタといえど所詮一介のオタクにすぎない僕が彼女の決定に僅かなりとも口を挟むことはできない。それならばせめて、最後に彼女と2人きりで話すことのできるチャンスを掴みとり、彼女にかつて命を救われた人間として伝えなければならない幾多のことを時間をかけて語り続けることが、僕に残された最後にして最善の選択肢であろうと思われた。
僕はいつかジャンボリお姉さんのためにと取っておいた虎の子の預貯金を全額引き出し、各方面に土下座をして借りられるだけの金を借り、時間と体力の許す限りのアルバイトに身を投じた。ときには危ないこともやったし、それのせいでもう会えなくなった友人も少なからずいた。でも僕に後悔はなかった。ほんの一欠片ほども。僕に素晴らしい夢をくれ、そのひたむきな情熱で生きることの素晴らしさを教えてくれた人だから。
あるいは、僕はきっと彼女に愛を返すために生まれてきたのかもしれないとさえ僕は思った。ある虫は運命の定めた相手に巡り会うために、小さく脆い羽を必死で震わして何万kmという距離を渡りそして死ぬという。僕も同じだ。僕は彼女に会い、語り、そのあとで本当の意味での死を迎えるだろう。単なる肉体的な死に留まらぬ、深甚な虚無への階梯を延々とくだりゆく暗い怒りに満ちた絶望としての死。僕はそのようにして死への確信に近い予感を抱き、それを喜んで受け入れようとした。
結果からいうと僕はジャンボリお姉さんとのデートの権利を得た。僕らは2人がそれまで幾度となく交錯し、しかし本当には交わることのなかった場所を歩いて語り明かした。
別れ際ジャンボリお姉さんは僕の手をとって彼女の柔らかい頬にあてがい目を閉じた、 僕はしばらくそのままでいた。彼女の吐息が言葉にならぬ何かを必死で伝えようとするみたいに僕の産毛をさらりと撫でるのを感じていた。
─私がおばあさんになっても
しばらくして彼女は躊躇うように口を開いた。
─私がおばあさんになっても、君は私のことを今と同じように好きでいてくれる?時間とともに私が老いという恐ろしい油にとっぷりと沈んでしまって、私がジャンボリおばあさんになってしまったとき、あなたはいつか昔のジャンボリお姉さんの幻なんかでなく、その絶望的な一瞬一瞬を何とか生き抜こうとするジャンボリおばあさんの私を見てくれるのかしら?…老いるのは怖い。自分ではどうしようもない時間という法則の、ベルト・コンベヤの線上に縛り付けられて、刻一刻と迫る終末と死とを直視する、それ以上に恐ろしいことなどこの世界に存在しえないと思う。それでも、あなたがただ1人そのように進みゆく、というより退行しゆく私と同じ速さで歩き続け、失われた私の骸でなく失う主体としての私を愛し続けてくれる限り、私は生きることをやめないことにするわ。ねぇ、あなたは私のことを愛し続けてくれる?
─もちろんさ。
正直にいえば、このときの僕は老いというものの正体、そして若さにのしかかった時間の無限の重圧に何一つ想像を巡らせぬまま、全人類史において男がその軽薄な本質をむき出しにして女に行ってきた数限りない裏切りと全く同じ具合で彼女に答えたのだった。
─君がいくら老いようと、損なわれようと、僕は未来永劫変わらずに君のことを愛し続けるよ。
果たしてこれほどまでに残酷な言葉がほかにあっただろうか?僕は彼女を背負った、しかしそれは同時に未来のある時点における彼女の完全な放擲をも意味していた。
─そうよね。
彼女は頬にあてがわれたままの僕の手をそっと払い除けた。もしかしたら彼女は、その時点で僕が彼女を本当の意味で完全に見放してしまったことをうっすら予感していたのかもしれない。ホテル・ミラコスタの宿泊客らから投射されるスマートフォンのトーチが汚れた犬の周囲を飛び回る銀蝿みたいに鬱陶しかった。来場者へ帰宅を促す安っぽいBGMは僕らの沈黙を余計に耐え難いものにし、彼女の視線を避けた先にみとめたS.S.コロムビア号の煙突は宵闇を更に濃密に切りとって罪障感への果てしない旅路を僕に予感させた。その瞬間からジャンボリお姉さんはもうジャンボリお姉さんでなかった。しかしそのようにして動き出した時間を僕が直視することはなかった。
それから連なる長い期間の中で、僕らは幾度となくディズニー・シーに行った。パートナーをつくり、ライフスタイルを変え、それぞれの異なる充足をそれぞれの異なる生活の中に見出したあとでも、僕らの個人的な関係は何者にも侵されない聖域として完全に独立したものであり続けた。約束が約束であり続けるために、僕たちはこの関係にいくつかのルールを設け、適度に調整された束縛の中で互いを愛し続けようとした。落ち合うのは必ず舞浜駅の改札で、別れるのも同様に決まって舞浜駅の改札だった。
だから彼女の娘さんから電話が来たとき、僕はジャンボリおばあさんがどこに住んでいるのかも知らなかった。彼女とは最後にディズニー・シーを訪れたあの日以来顔も合わせていなければ連絡すら取っていなかった。特に理由があったわけではない。自然とそうなっただけの話だ。あのとき交した僕らのさよならには、それだけ強くきっぱりとした断絶の効果があった。僕は泣いて、それでも電話を切ることなく僕の動揺に辛抱強い相槌をうってくれる娘さんの親切に心底頭の下がる思いをしながら、僕が彼女と出会ってから数え切れないほど長い月日が経ってなお、彼女のジャンボリお姉さんとしての幻影にあまりに強く囚われ続けていたことを改めて悟ったのだった。
僕がひとしきり泣き終わったあとで、娘さんはキリストを撫でる聖母みたいに慈しみ深い声で言った。
─母はあなたにと言ってひとつの、ちょうどディズニーのクッキー缶ほどの大きさの箱を残しました。中身はまだ見ていませんが、母が生前からとても大切にしていたもののようです。祖母の意向もあり、葬式は身内だけで執り行う予定ですが、あなたにそれを受け取られる意思があるのなら場所と日時を伝えることにします。どうでしょう、受け取られますか?
受け取りますとも。僕は涙まじりの荒い声で、しかししっかりと答えた。
ジャンボリおばあさんの一族が代々受け継いでいるという、広い庭園を備えた日本家屋の一室で僕らは対面した。娘さんはちょうど中年を迎えようとしていたころのジャンボリおばあさんに似て凛とした佇まいに静かな迫力を備えた女性だった。ミニーと名乗る彼女の、その表情には母をなくしたばかりの娘としての疲労や戸惑いが見え隠れもしているものの、それでもなおどっしりと構えた生真面目さのようなものが一貫して彼女の内面に迸っている。
─このたびはご愁傷さまです。
僕はきっちりと手足を揃え、背筋をピンと伸ばしたまま深々と頭をさげた。極めてアメリカ的な存在としてのディズニーリゾートで出会い、その範疇でのみ繁栄しえた僕らの関係が、死によって引き裂かれたあとで、反対に日本的な儀礼的作法によって再び結ばれ直すというのはひどく奇妙な感じがした。それだけに─そうかしこまらなくても─と申し訳なさそうな顔で僕に足を崩すことを促すミニーさんの言葉は、単に肉体的な負荷を軽減させるという以上に、彼女のイメージと葬儀全般との、もはや不快ですらある違和感を軽減させるための心理的措置として僕に働いた。それで僕は言った。僕は僕の喉元が極度の哀切に醜く震えるのを感じた。
─早速ですが、僕はあなたが電話口で言っていた、彼女の遺したものというのを見せてほしいんです。挨拶もろくにできず申しわけありません。しかし僕はあなたから彼女の死を知らされてから、いやもしかしたら雑踏に紛れて消えてゆく彼女の背中を最後に見届けてから、自分の気持ちが際限なく張り詰めて膨らみ、それに骨が食い込んで発する激しい痛みに耐え続けてもうそろそろ限界を迎えてしまいそうなのです。 何もかも分からないことだらけだ。僕は答えがほしい、一刻もはやく彼女からの答えがほしいのです。お願いします。僕が再び息絶えてしまう前に。
しかし、驚いたことに、ミニーさんは僕の言葉に首を横に振った。頑として、という様子が最も相応しいと思えるほどに、それはそれはきっぱりと。僕は目を疑い、お願いします、と改めて言った、それでも彼女は融和の気配をおくびにも出さない。流れる雲が午後の柔らかい陽を遮り、厳しい決意のにじむその顔にさっと影を落とした。そしてそれはいつかジャンボリおばあさんの肩越しに見たS.S.コロムビア号の煙突の影と同じ色をしていた。
─あなたが求めているのが「答え」であるのなら、母の残したものがそのような性質でない以上、それはできません。
彼女は間違いなくそのように言った。
─母が残したものは、むしろ「問い」のようなものであると、私は確信しています。なぜなら、あなたにそれを託すようにと言った母の顔には、優しさというのではなく静かな怒り、そしてそれ以上の期待が漲っていたように私には思えるから。彼女は最後まで決してあなたを彼女自身のかけた呪いから解放しようとはしなかった。母のあなたについて少し語ったところによれば、あなたはいつの日か、彼女に自分自身のことを語り尽くすことで発動する呪い、すなわち死に至る絶望を自らに課した。しかしその履行はあなたが彼女と交わしてしまった約束によって、呪いに別の呪いを上書きする形で延期されることになった。そのようにして歪に結ばれ、際限なく捻れていった呪い同士は、あなたを生と死のちょうど中間、どちらに対してもねじれの位相にある状態へ留めおき、やがて正常な時間からも切り離してしまったのです。実際、あなたは過去の、まだジャンボリお姉さんとよばれていたころの母への憧憬に固執するあまり、自分自身もまた老人になっていることに気づいていないのではありませんか?そのような状態にあるあなたに母が残したのは、いうなれば恐らく新しい呪いというべきものなのです。ひとたび時間から孤立したあなたに降りかかれば、今度こそ決定的にあなた自身を損なってしまう類のもの。それがこの箱の中身なのです。
そこで彼女は脇に置かれていた、確かにディズニーのクッキー缶ほどの大きさの白い箱を手に持って僕へ掲げてみせた。正直、僕は箱があまりにも自然な形で、部屋の風景に馴染みすぎていたために、そのときまでそれが僕の目の前に確かにあったことにすら全く気づかなかった。
─そういったわけで、私がこの箱をあなたにお渡しするわけにはいきません。お呼びした手前失礼なこととは存じますが、今日のところはどうぞお引き取りください。
春うららの午後、軒下にできた狭い影に小鳥が2羽とまって羽休めをしている。遠くに子供の声が聞こえる。しかし僕らのいる部屋は翳り、頑なさと焦燥だけがその場を支配していた。近くに大きな養豚場があるという、そのせいか微かに豚糞のもったりとした匂いが風に乗って僕の鼻をついた。僕は言った。
─はいそうですか、というわけにはいきませんよ。僕はあなたの生まれる前から彼女と時間をともにし、あなたの知らないジャンボリお姉さんとしての彼女を隣で見つめ続けてきた。僕らの間にあるものを、彼女から少し事情を聞いただけのあなたが想像することなんて到底不可能だと思いますがね。その箱に入っているものが答えだろうと問いだろうと関係ない、僕には彼女の最大の理解者として中身を知る義務があるのです、彼女も間違いなくそうすることを望んでいます。いいですか、これで最後にしますよ、その箱を僕に渡しなさい。
声が一瞬うわずったのを悟られないよう僕は意図的に語気を強め、それに引っ張られるようにして脳が怒りへの静かな脈動を始めた。
─これはお願いじゃない、命令だ。それを渡しなさい。
無駄だった。むしろミニーさんは箱を大事そうに抱え、親鳥が襲撃者から卵を守る具合に、こちらへ身構えるようにして上目遣いに睨んだ。
─お引き取りください。そのときが来たら渡しますから。
─今がそのときだと言っているんだ。
─お引き取りください。
そこで頭が真っ白になった。喉の奥が熱くなった。僕は今や自らをそっくり包み込む勢いで増幅する激甚な怒りに勢いよく立ち上がり、拳をきつく握りしめ叫んだ。
「いいから箱をよこすんだ!」
僕は彼女へ殴りかかった。美しい羅紗を強引に引き裂くような悲鳴。すると先ほどまでの声を聞きつけたのか彼女らの親族らしい怒りに満ちた男たちが障子を勢いよく開けてなだれ込み、一瞬で状況を把握したのちすぐさま僕を取り押さえて羽交い締めにした。
─放せ!箱をよこすんだ!
僕はなおも叫び続けたが男たちに抵抗することは叶わず、箱を抱えたミニーさんが憐れむように僕を見やって部屋を去っていく背中を呆然と見つめるほかなかった。そしてその喪服に包まれてほっそりした背中は最後に見たジャンボリお姉さんのそれとはっきり重なり合うのであり、僕はそのイメージ導かれるままに忘れていた過去のある思い出を新たに発見していた。同時に、数人がかりではあれど一瞬にして男たちに制圧されてしまったという事実そのものが、皮肉にも僕にこれまでほとんど無自覚だった老いによる肉体の衰微を今度こそはっきりと突きつけているのだった。
僕は老人で、もちろん彼女もそうだった。
傍からは年甲斐もなくディズニーにはしゃぐ仲の良い老夫婦のように映ったろうか、ミッキー・マウスの風船を持って前を並ぶ小さな子供が不思議そうに僕らを見あげた。
開園から一目散に向かったのが功を奏して、センター・オブ・ジ・アースの待ち時間はまだ30分だった。早起きだけは得意というのは僕らが年齢とともに得た数少ない美点のひとつである。ドリルで岩肌をくり抜いて作られたという設定の並び列は大蛇の腹のようにうねってアトラクションまでは遠く、はるか奥の方でようやく待機列の人々が凝縮しているのが見えた。待機列で僕らは何枚かの─ジャンボリおばあさんは朝のまだ化粧の崩れていないタイミングで自分の姿をキャメラに収めておくことを好んだ─写真を撮って、その日の順路の計画を立てながら曲がりくねる洞窟を進んだ。
そしてようやく鉄臭いエレヴェーターの前に行き当たったとき、ジャンボリおばあさんが不意に胸を押えてうずくまった。大丈夫か、僕は声をあげたが返事はない。担当キャストが数人駆け寄ってくる。ゲストが驚いたように僕らを見、遠巻きに取り囲んでざわつき始めた。ジャンボリおばあさんは小さな躰を老いと苦痛にみすぼらしく縮ませ、うーんと小さく唸ったきり動かなくなった。巨大に作り込まれた偽火山の内奥で、一人の女が、それもかつては偽火山を含む風景の全てを輝かせていたはずの女が今、生命の危機に瀕して誰も何も出来ないままの舞台に無理やり立たされている。どこからどこまでが嘘で本当なのだろうか。そもそも彼女をかつてジャンボリお姉さんたらしめていたものとは一体何だったのだろうか?ディズニーワールド?しかしそれは彼女が今蹲っている偽火山の裾野に拡がり全てが嘘に基づいて成り立っているにすぎない。
僕は彼女から嘘を一つ一つ取り除いていった。ディズニーワールドを除き、偽火山を取り除き、この不本意な舞台を取り除き、ジャンボリお姉さんとしての栄光を取り除いた。そしてその徹底的な懐疑の先に鈍く光る苦痛だけが残った。
苦痛。それだけが彼女の本質だったのだろうか。
─そうよ、少なくともあなたにとってはね。
遠くでミニーさんの声が聞こえた。
彼女は苦痛に過ぎなかった。ああ、確かに、疑いようもなく僕にとってはそうだった。僕ははじめから作り込まれた虚像としての彼女の姿しか見つめてはいなかった。ひとたび雨でも降ろうものなら簡単に霧となって消えてしまうくらいの虚像。そしてそれは消えてしまう、ほんのわずかな時間の経過にさえも。僕はそれほどまでにか弱い、瀕死の猫に等しい重さの像を、長い時間をかけて念入りに補強し、世話をし、分厚い石膏で塗り固めるようにしてひとつの箱に閉じ込めることで永遠のものにしようとした。そして彼女もそれを望んでいた、しかし彼女が僕にかけた呪いは彼女の良心と欲望との間で奇妙に混淆し、祈りに似た約束となって僕を永遠に縛り付けた。そのような艱難を僕は、さらに記憶を封じ込め、自分自身の老いをもまた同じ箱の中に閉じ込めてしまうことによって乗り越え、全ての辻褄を合わせようとした。
そこに白い箱。
─その中身はきっと空っぽなのでしょう?なぜならその箱の役割は何かしらの中身を包むことではなく、それ自体が存在することにこそあるのだから。
─さあね、前に言った通り私は中身を見てはいないのよ。でも確かに、何かが入っているような、そんな風ではなかったかもしれないわ。
ミニーさんは茶目っ気たっぷりに言って、そのままイメージの奥底へ消えた。
そしてジャンボリおばあさんがいた。
正確に言えば、一人の女がいた。僕は幼い日の思い出と何一つ変わらぬS.S.コロムビア号の広場にいて、彼女はステージの上に立っていた。
─やっと目が合った。
彼女は僕を見下ろし、老成したしわがれ声で言った。
─あなたには申し訳ないことをしたと、私は今でもそう思っているわ。長いこと一緒にいてくれて、何度も謝るチャンスはあったはずなのに、ずっと謝ることもできなかった。だからあの箱を残したの。あなたがそれによってどんなに苦しみ、身を切られるほどの痛みを感じるのだとしても、私はあなたを私のかけた呪いから解放してあげなければならないと思った。ミニーにも悪いことをしたわ。どうかこんな身勝手な私を許してちょうだいね。
彼女はちょっと笑った。そしてステージから軽やかに降りて僕の前に立った。
─全くその通りさ、そのおかげでここまで来るのに何十年とかかった。大学生だった僕もすっかりおじいさんになってしまってね。それでも悪い人生じゃなかったさ。妻にも子どもにも恵まれた。もうすぐ初めての孫が生まれるんだ。いろいろあったけど、きっとこれで良かった。シリキ・ウトゥンドゥの呪いとは違うよ。僕は君に出会わない人生より、君と出会えた人生の方がずっとずっと良かったって思ってるよ。
僕は心から言って、彼女の手を握った。彼女の手はもう暖かくはなかった。それどころかその肉体は僕の体温に溶けて少しづつ消え去っていくようですらあった。
─もう時間がない。それでもあなたとこうして話すことができてよかった。長い時間がかかったけど、こうしてまた手をつなぐことができたもの。
そして僕らは手を離し、思い切りハイタッチをした。今度はしっかりと、幸福の音があたりに響きわたった。
─さあ、それじゃあ最後に踊りましょうか。『ジャンボリミッキー』はなにも子供たちのためだけにあるわけじゃないのよ。老若男女、みんなが一緒に楽しむためのダンスだもの。踊りはまだしっかり覚えているでしょうね?
─もちろんさ。僕がこれまで何回踊ってきたと思っているんだい?
僕は笑い出したくなるのをこらえながら言った。ジャンボリミッキー、踊るのはずいぶん久しぶりだ。右腕、左腕、右腕、左腕、それから快活に挨拶をするように「ズン、ズン」…。
─そうよね。思い出の曲ですものね。さあ、踊りましょう。ジャンボリお姉さんでも、ジャンボリおばあさんでもなくて、夢を見続ける一人の人間として…。
そして音楽がかかった。僕らは彼女が消えるまで、いや消えてしまったあとでもずっと踊り続けていた。僕は自由だった。老いても未熟でもなく、ただ自由で気持ちが良かった。僕ははじめてジャンボリミッキーを踊った幼いころのある日、ジャンボリお姉さんに出会い、それから人生を大きく変えたある日のことを思い出していた。人生は素晴らしい。それを教えてくれたのは紛れもなく彼女だったろう。
ジャンボリミッキー
ジャンボリミッキー
ジャンボリミッキー
ジャンボリ ズン ズン
ぼくらのクラブのリーダーは
つよくてあかるいげんきもの…
かつてジャンボリお姉さんと呼ばれていたあなたへ。
あなたはもうとっくにジャンボリお姉さんではない。しかしそれはあなたが最後まで生きたという結果において、何よりも素晴らしい事実であり、僕はそのことを祝福したいと思います。
さようなら、ジャンボリお姉さん。思い出とともに、永遠に。
最後にCM。
4/29(火)←祝日!!
めいの生誕イヴェントです。
一体あの賢おもしろ人は何をするつもりなんでしょう?色々計画をたててくれているみたいなのでみんなで楽しみに待ちましょう!
ここだけの話、当日はめいとうゆがポタラします。