うゆです。
よく海で波にさらわれていたので、ライフセーバーから「ビーチ姫」と呼ばれていました。
タイトルに誤りがあり、正しくは「さえと栃木さん」でした。
先にお詫び申し上げます。
一旦バックをはさむことで一時停止に2回止まる技術を発明したことで知られるさえさんは、小仏トンネルへ向かう幹線道路へ合流するあたりで、ついに一時停止に3回停止することに成功しました。その表情は得意満面、助手席に座る私も思わず嬉しくなってしまうほど。というわけで私は今東北自動車道を4速で轟音ととともに走り抜けるさえさんの車に乗りながらこれを書いています。溶けゆく夕日の光を受けて紅色に染まる公団の群れが川面に映って揺れています。その風景はこの終わりゆく輝かしい一日を讃えるように雄大で力に満ち溢れ、映画『太陽を盗んだ男』でジュリーこと沢田研二が菅原文太の乗るヘリコプターから逃げ惑うあのシーンを彷彿とさせます。時刻は午後5時を少し回ったところで、しかし私たちの旅はまだ始まったばかりでした。
半年ほど前からお誘いをいただいていたもののなかなか予定を合わせられないままずるずると引き延ばされてきたドライブの予定も、ついにこの季節になって実現するに至りました。これと言った目的地も決めず、私たちはいつものように半ばとりとめない空気感を抱えたまま、新宿西口の殺人的に複雑怪奇なロータリーを抜け出して車を走らせました。
実のところ私は、時間から見て東京の近郊をふらりと回っていくだけのドライブになるのではないかと予想していたのですが、さえさんはその限りではなかったようです。彼女は栃木県まで車を走らせてくれることを提案し、私はその案に一も二もなく飛びつきました。栃木県。なんと不思議な感触をもった土地でしょう。東京からそれほど遠くない位置にありながらその実態は固く閉ざされ、大部分を未知の暗部として関東平野の極北を示す牙城として君臨し続けてきた偉大なる土地。私たちはこれからそこへ向かうというのです。否が応でも気持ちは昂り、私は思わず戦いへ向かうネイティヴアメリカンの酋長のように凛として居住まいを正しました。
時間帯のために混み合っていた高速地帯を抜ければあとは爽快で、しかしそれに伴って空には少しづつ雷雲が立ち込めてきています。やがて陽の傾き出した空は気がつけばあっという間に暮れ、濃い群青色に塗り込められた空を切り裂くようにして、時折稲光が世界中を真っ白に照らしました。さえさんの車は暗く深い怒りに満ちた空を一身に背負い、恐るべき獣から身を低くして逃れようとする敏捷な動物のように、なめらかにアスファルトを滑っていきます。
パーキングエリアの明かりは春の到来を待ち侘びる生命の願いが結晶化したみたいに暖かく、そこに集う人々の活気は絶え間ない雷音に竦みきった心を抱きすくめてくれました。ついに到来した長い夜にどこか身を固めるようである私とは裏腹に、出張版のずんだシェイクを見つけて歓喜するさえさんは余裕綽々たる面持ち、この人がいればひとまず私も大丈夫だろうという確実な信頼感が芽生えてきます。10分後、コーヒーを片手に駐車場を出る私たちの顔に不安や恐れなんて一つもありませんでした。
さえさんの運転は実に見事で、何時間乗っていてもひとつもストレスがなく、普段から車酔いに酷く悩まされている私でも落ち着いて乗っていることができました。
それから2時間ほど車を走らせて私たちは展望台が有名だという山につきました。どうやらそこは毘沙門天を祀っている有名な神社でもあるらしく、ところどころにその意匠が見て取れました。
「毘沙門天は多聞天とも言ってね、進行すると10個の福があると言われているんです。」
さえさんは淀みなく説明してくれました。ちょうどピクニック・ツアーのガイドが客に対して慣れた調子で説明を繰り返して見せるのと同じように。
「無尽、衆人愛敬、智慧、長命、眷属衆太、勝運、田畠能成、蚕養如意、善識、そして仏果大菩提の福。仮にどれかひとつが叶えられるのだとしたら、うゆさんなら何の徳を望みますか?」
「そうね」
私は少しばかり悩みました。それは不意に聞かれ、すぐに答えるべき問いとしてはいささか困難なものだと思いました。
「難しいけど、私なら無尽を選ぶかしら。例えばランプの魔人が3つの願いを叶えてくれるとなったら、真っ先に願いを10個にしろと言ってしまうような人間だもの、私は。」
「それは随分と欲張りだ。二兎を追う者は一兎をも得ず。そんな人はきっとなんの徳を得ることもできませんよ」
真っ暗な車内で、さえさんは笑いました。山道に沿って並ぶ灯りが流れ、彼女の顔に影と光とがめくるめく幻燈のように交互に映し出されていきます。山頂はもうすぐそこでした。
山頂にはすでに何組かのカップルがいましたが、一組ずつベンチに座って彼らなりに完結した世界の中に浸りきっているようで、もはや誰もいないみたいに静かでした。私たちは長いドライブに凝り固まった身体をほぐし、うんと伸びをしながら歩いて展望台の端を目指しました。
宵闇の漆黒が山々になだらかな稜線を描いています。その裾野には光が満ち、目を凝らせばここからでも自動車の並び立ったテールライトの赤い光を微かにみとめることができました。そして景色いっぱいに広がる関東平野のダイナミズム。人類という種の地道でひたむきな前進の歴史が、この景色ひとつに結集し、人類としてあることの原始的な喜びが光という光に宿って目の眩むような輝きを放っているようです。このミニマムな愛が併存する静謐な展望台から望んで、その景色は無音のまま解き放たれるエネルギーの大爆発のようで、妙に不気味で現実味を欠いた明け方の夢のような光景でした。さえさんが隣で小さく鼻をすすりました。夜景、それも眺望というのは、人を開放的でロマンティックな気分にさせる一方で、現在に対してどこか不安げな、みず知らずの過去に後ろからいきなり抱きすくめられたような錯覚もまた、同時にもたらしてしまうものなのかもしれません。
私たちはまもなく山を降り、さえさんのおすすめしてくださった宇都宮の餃子屋さんへ2、3時間ほどかけて伺うことにしました。さえさんの方のブログでも明らかにされている通り、そこには実に約400種類もの変わり種の餃子がラインナップされ、客はそれを個別で注文することもできるし、日替わりのランダムで提供される10種類の餃子を戦々恐々、楽しんでみてもいいのです。実は私は宇都宮餃子なるものをいただいたことがなく、このような形で新しいカルチャーとの邂逅を果たせるというのはなんとも言いがたい素敵な気分でした。
私たちが伺ったのは「いきいき餃子」というお店で、外から店内を覗いてみても普通の町の定食屋といった面持ちでそれほど変わったところはお見受けできないのですが、中に入るとあらびっくり、壁一面にずらりと並べられた魑魅魍魎の不思議レシピ餃子の数々。一目見ただけでその謎と不条理に満ちた世界観は私たちを圧倒します。そして私ははやくも胸の高鳴りを抑えることができませんでした。お金を出せばこれが食べられるんだ!当たり前といえば当たり前の話なのですが、「厳しい親御」に育てられ消費の自由もままならなかった私にはそのことがたまらなく奇跡的で喜ばしいことのように感じられるのです。私達はさんざん迷った末、まずは比較のために普通の餃子を、そしてもうひと皿をこの「面白セット餃子」というメニュー表をざっと拝見した限り最も訳の分からないセットに決めました。この表に書かれた10種のものが一つづつ盛られてくるというのです。ウツノミヤタウンにさよならバイバイ、俺はこいつと旅に出る!\ギョーザ!/
餃子は餡だけが魔改造されている様子らしく、食べる前ではその内容なんて検討もつきませんから、私たちはとにかく観察に観察を続けてなんとか数少ない情報を得、それをもとにご飯との食べ合わせや辛さなんかを決定していきました。
私が食べたのは泳いでいる、カボチャ、ブドー、激辛、玉子の5種。キワモノかと思いきや、口に入れてみるとこれが案外いける。いつも何をして生きているのかよく分からない妙な見た目をした人が案外公務員だったときのような味です。これには私もさえさんも大満足、2人ともホクホク顔で満腹気分。ちょいと奥さん、明日のレシピはこれに決まりよ御座候。だけどおめぇ栃木来ねぇとこれが食えねぇってんだから大変よ。町内あちこちてんやわんやの大号令。隣の親父がボロ車走らせエンストすれば、向かいの娘が栃木男と駆け落ちと来たもんだ。よってらっしゃい見てらっしゃい。これこそ天下一品将軍唸らす宇都宮餃子よ。ってなもんでオイラ達も餃子の後味に酔いしれ酔いしれ、車を走らせてそのまま誰もいない深夜の道路をさえさんの勇往邁進する凄まじいハンドルさばきで一瞬のうちに駆け抜けていったってぇわけさ。
さえさんとのドライブははじめてで、こうして2人落ち着いてお話をする機会にも今まで恵まれていなかったので、今回のドライブはとても大切な思い出になりました。さえさんはジャンボリミッキーの3番の歌詞まで知っているし、ポッチャマのポシェットの中で2匹のクワガタムシを飼っているし、ラーのLINEを持っていました。気になる方はさえさんに会いにお越しになってみてください。
ドライブという場の面白さについて語ろうと思ったのですが、今日は疲れているのでこの辺で。
さえさん、素敵なドライブをありがとうございました。
【今日の一曲】
あえてこっち