Bonsoir! Je m’appelle Uyu!
この前ちさとのお家にお邪魔しました。
次の日には舶来の遊園地として名高い東京ディズニイ・シイとやらに訪れる予定が控えていたのですが、お給仕を遅くまで頑張ったうえに、なかなか着替えようとしないちさとクンを待っていたので、あれよあれよという間に最終列車を逃し、なし崩し的にちさとのお家に泊まらせてもらう運びになったのです。
ニュウタヰプに程近い中華蕎麦屋さんでちさとに美味しい中華蕎麦、食いしん坊で強突く張り、常に私利私欲に走り他人の懐事情やらマナーやらは知らぬ存ぜぬなたわけた私はそれに加えてつやつや光る白米も注文させていただいたわけですが、をご馳走になり、しっかりと替え玉も平らげたあとでいつもとは違う鉄道駅のプラット・フォームの空気に新鮮な期待を覚えつつ、ちさとの家の最寄り駅へ向かう長い夜行列車に乗り込んだのでありました。
私は行李を解いて腰をおろし、車掌に切符を切ってもらうと、故郷ではとくと見かけぬハイカラな中吊り広告に目を見張りました。そしてしばらく夜行列車の車輪がレールに軋む甲高い音をどこか非現実のものとして遠くに聞き、お給仕の疲労が重苦しい睡魔の緞帳となって全質量をかけて瞼へのしかかってくる重さに耐えきれぬまま、抗いようのない眠りに沈んでしまうと、身体から剥離し寄る辺ない魂となって浅い眠りのうちをうろうろとさまようのでした。(本当は愚にもつかない話をしていたので寝ていません)
目を覚ますと、車内の白熱灯に照らされたちさとのニッカーボッカーが眩しく目にしみて、私は慌てて目深にかけていたカンカン帽をかぶり直しました。(本当はちさとはニッカーボッカーなどはいていません。)
大きく伸びをし、ちさとの方に向き直ると、彼女は楽しそうに志賀直哉の新刊の頁を繰っているところでした。その優しげな感じは、普段の彼女とは違って酩酊した女みたいにしどけない心地をすら漂わせているのであり、それを見ていると私にはなんだか稚児の時分耳にした小間使いの鼻歌さえ聞こえてきそうな気もしてくるのです。(本当はちさとは志賀直哉の新刊など繰っていません。そもそも志賀直哉の新刊なんて有り得ません)
「ぼやっとしている暇はないぜ、そら、もう駅に着く。」
そういうが早いか鉄道は耳障りな音を立てて深夜のプラット・フォームへ停車しました。明かりのぼうっと照らす先の暗闇には夜鷹が一人二人。電車を降りる我々にじいっと目を向け様子を伺っているようです。
「駅前はタチが悪いのもいるからね、どうだい、ここはひとっ走りといこうじゃァないか。」
朗らかに笑うちさとはかけ出します。私はステッキを振り振りあわててその後を追うのでした。(当然のことながら本当は夜鷹なんていません)
ここでCM。
今週末3/29(土)はNewtypeの副店長、優さんの生誕イヴェント!
入店当初から色々なことを優しく教えていただいてます。そんな優さんのテーマは闇営業!当日にチェキを撮ると後日週刊誌に掲載されて炎上してしまうそうです。知らんけど。
いっぱい話していっぱい飲んで、いっぱい指を詰めましょう!シャンパン一本指一本!
疲れたのでもう嘘をつくのはやめにして、以降は普通にブログを書きます。
ちさとの家では素晴らしいホスピタリティと設備とに恵まれました。実際トリバゴの評価も申し分なく、2003年度には日本国内で最高評価を受けた宿として雑誌にも掲載されたことがあるようです。アメニティも非常に充実していて、クシ、タオル、歯ブラシ、シェイヴァーといった通常のものから、24h食べ放題豆苗、頑丈なグラタン皿、ピーチ姫のオルゴール、ブッダマシーン、けん玉、剛力彩芽の1stアルバムなどすべて一級品のラインナップでした。
私はシャワーを浴びさせてもらうと、ちさとの出してくれたスウェットシャツを着込み、すっかり落ち着いてドライヤーで髪を乾かしました。しかし、私のドライヤーはどうやら不十分なようで、その時間の短さに呆気にとられたようなちさとの顔を見て私は初めて自分の誤りに気がつきました。
ちさとは親切にも私の髪を乾かしてくれました。仕上げに品質の良いブラシで整えると、普段からは想像もできないほどサラサラツヤツヤとした仕上がりで、これなら私も美髪自慢のために毎日コンブやらワカメやらを食べていた甲斐があったのだわと驚嘆の心持ちでいっぱいになるのでした。(再び訪れた際に同じくドライヤーが不十分であると言われてしまったのはまた別のお話)
シングルベッドで夢とお前抱いてた頃
くだらない事だって 二人で笑えたね
今夜の風の香りは あの頃と同じで
次の恋でもしてりゃ 辛くないのに
『シングルベッド』(シャ乱Q、1994年)
というわけにもいかず、我々は2人横になって、眠れぬままあれこれととりとめのない話に花を咲かせました。例えば、ちさとのブログにも書いていたとおり、宗教の話をしました。周知の通り、幼少期に村を訪れていた教祖に左腕を犠牲にしてまで命を救われ、いつか教祖になるという約束とともに高い壺を託されて以来、教祖になるという夢を掲げて大宗教時代の海を駆け回るちさとは、自分なりのドグマやアンビションを構想しており、それを語るときの彼女の目は烈日の日差しをうけた海面のようにキラキラと輝いているのでした。私は友人の語る夢を聞くのが大好きで、曖昧なのか具体的なのかよく分からないちさとの夢に聞き入っている間に、眠くなるどころかどんどん興味を惹かれていって目を冴え渡らせてしまう始末なのでした。素敵な話を聞かせてくれたお礼に、ちさとには今度『完全教祖マニュアル』(架神恭介・辰巳一世、ちくま新書、2009年)をプレゼントしようと思います。
ちさとの残したメモのあれこれも見せてもらいました。スマートフォンで最も見られたくないもの、反対にいえば他人のスマートフォンで最も知りたいものがメモアプリの内容でしょう。ちさとはそれを恥ずかしがりながらも気前よく見せてくれ、その心意気に感謝の念でいっぱいになりました。(私のメモは死んでも見せませんが)
特にちさとの作った「ファンモンの無い歌詞」はかなり傑作で、絶妙な「ありそう」感とそもそもの歌詞の完成度のバランスが良く非常に感服しました。私も「西野カナの無い歌詞」をよく作っているだけに、そのクオリティには同業として頭の下がる思いがしました。
彼女の詩も見せてもらいました。私は人様に詩など見せるなど裸を見せることよりも恥ずかしいと思っているので、やはりそういう彼女の正直さが嬉しかったし、好きだと思いました。
詩はちさとらしさを反映して、不安定なところがありつつも芯には素直な感情の通ったものでした。意識を極端に遠くに飛ばしてみたかと思えば自分の問題について現実的に考えてみたり、何も気にしていないように見えて実はずっと過去に拘泥し続けていたり。私は本気で恥ずかしがっているちさとをはじめて見ましたが、そんな様子を見て私はやっぱり彼女のことが好きだと思いました。恥ずかしかったと思うけど、それでも読ませてくれてありがとう!
気づけば朝でした。ちさとの家はなぜか時間の感覚が非常に分かりづらい設計になっていて、朝日が昇ったのにも全く気づけないまま私たちは夢中になって話通していたようなのです。(ちなみにちさとの家の外には緑色の肌をして触覚を生やし、長い杖を持った老人と、ターバンを巻いたたらこ唇で肌の真っ黒な男が立っていて、黒い男は緑の老人を神様と呼んで慕っているようでした)
はじめにも書いたように私には東京ディズニーシーに行く用事があったのですが、集合時間にはとうに間に合わなくなるくらいの時刻でした。私は急いで準備をし、服や靴など必要なものをちさとに色々と貸してもらいました。
嬉しいことに、ちさとはメイクもしてくれました。前々からちさとのメイクは参考にさせてもらいたいと思っていたのでとても嬉しかったです。本当に丁寧にやってくれて、非常に満足のいく仕上がりでした。実際、後日ちさとの使ってくれたメイク道具を色々と買い込んだくらいです。ちさとも疲れている中でこんなに素敵にメイクをしてくれて、感謝の気持ちでいっぱいです。
そうしてようやく外へ出ました。外は寒く、雨も降っていました。私の用意したパーカーでは些か寒すぎ、また傘も持ってきていなかったので途中で購入する必要もありました。そんなひどい状況ではありましたが、ちさとの一生懸命なおもてなしと、素直にお話してくれたこととで、私の心はぽかぽかと暖かいままなのでした。
[後日談]
・残念ながら行く途中の東京駅で面白いと思って購入した崎陽軒のシュウマイ弁当を、雨のふりしきる待機列で急いで掻き込む頃には髪の巻きもとれ、寒さに唇を青くしていた始末でしたが、メイクは好評でした。
・東京ディズニー・シーは雨のせいで空いていたのでめちゃくちゃ乗り物に乗れました。
・エルサとソアリンとハイタワーは有料のファストパスを購入しました。
・新エリアのピーターパンは初めて乗ったのですが、寝てなかったので正直吐きそうでした。
・というかぶっちゃけ寝不足でずっと吐きそうでした。
おわり
ソアリンのガラガラの列で撮った写真と、ハイタワーでビビりまくっている写真です。防寒着は友達に借りました。