超絶可愛い女装メイドの居るお店
男の娘カフェ&バー NEWTYPE
営 業 日:月曜~日曜・祝日
営業時間:18時~23時 (金土は~翌5時)

6/2 面白くなるためには、面白くなくならなければならない。

うゆです。

郵便局に週18で行きます。

 

 

 

行きの電車で前にいた人が、帰りの電車で隣に座った。そして次の日の帰りしな、駅でその人とすれ違った。音漏れするイヤホンで音楽を聴きながら大股開きで座り、オマケに歩きスマホまでする非・公共性の妖怪みたいな人だったのでよく覚えていた。

 

 

私は自意識が過剰な性質(たち)で、電車に乗っているときはだいたい誰かが自分を眼差していないか警戒しているので、同じ電車に乗っていた人のことは案外覚えていたりする。以前アルバイトしていた塾に新任の先生が来たときは、彼がちょくちょく同じ車両に乗り合わせることのある人だったので、嬉しくなってそのことを言ってしまい困惑させてしまったことがある。─〇〇高校のテニス部で、修学旅行のときは赤いリュックを背負っていましたよね。─一体人を眼差しているのはどちらなのだろう?

 

 

一方で、私が気づかなかっただけで、街では意外と知り合いに気づかれていることも多い。私は雑踏の中で見知った顔を選び出すのがかなり苦手なタイプなので、知らない人のことを覚えていても知っている人に気づくのは難しい。知り合いのことは大勢/massから切り離された個人として見ているので、大勢/massの中にある知り合いをまったく異質の存在としてみなしているためなのかもしれない。

 

 

塾でアルバイトをしていた頃は、勤務先が地元のあまり大きな町ではなかったので、生徒に目撃されていることがかなり頻繁にあった。「先生がしみコーンを食べながらロータリーを歩くのを見た」「可愛いトランクを持った男がいると思ったら先生だった」見られているのは大抵ろくでもない姿である。外を警戒しすぎて自分の姿はお留守になっているようだ。塾では白衣を来ていたし、「先生」としてのペルソナを─ほとんど作っていない方ではあったが─作っていたので、やはり素の生態を見られると照れくさいものだ。大抵の高校生は学校の先生の本名でFacebookを検索して、先生のプライヴェートを探ろうとする。私とて例外ではない。大好きな世界史の先生の素の表情を求めて一生懸命検索したが、何一つ突き止められなかった。こういうのは大抵嫌われている先生や嫌な先生の情報ばかり見つかるものだ。そういう先生の写真が発掘されてしまった場合、男子たちの手によって悪質なコラ画像が作成されることになる。不憫かもしれないが、標的は嫌な先生なので私は何とも思わない。

 

 

パブリックな場でのペルソナが真面目であればあるほど、その人の私生活の秘匿性は価値あるものになる。それだけ情報が少ないということももちろん関係しているのだが、それ以上に、真面目な顔からの落差というのを発見したいのが人の常である。生徒は自分たちと親密に打ち解ける仲良しの先生より、何を考えているか分からない堅物の熟練教師の私生活をこそ知りたいと思う。もし「私生活情報販売店 ぺるそな」という店があるとして、おそらく私のような人間の私生活情報はFランク、値段もつかなければ買い手もいないだろう。反対に、真面目が売りの高級官僚の私生活となると何百万という値段が付けられるはずだ。ただ、私の友人の一人は文部科学省に務めているが、超多忙な彼に私生活なんてものはほとんどなく、たまの休日にもラーメンを食べて競馬に興じるくらいなので知り合いとしては別に面白くもなんともない。それでも、まったく秘匿されてきたその人のペルソナが明るみになるときはやはり大いにギャップが生まれるものなので、友人関係にある場合などでない限り結構面白いのだと思う。

 

 

私の大学のゼミの先生は30代半ばくらいである。非常に寡黙でクール、ほっそりとして骨ばった顔に鋭い目つきと高い鼻、引き締まった口をほとんど動かさずロシアの文学について語る人なので、我々生徒は彼の情報を少しでも知りたいと思っている。特に、最近のポップカルチャーのテクスト研究をすると顔をしかめるので、彼がどこまで最近の事物に精通しているのか気になっている。ポケモンは知っているらしいが、『葬送のフリーレン』は知らないようである。じゃあ「エッホエッホ」や「西山ダディダディ」は知っているのかと聞かれれば、多分知らないと思う。そのような人が言う世俗的な言葉は、たった一言だけで宝石のような価値を持つ。ゼミの先生が「猫ミーム」とそれだけ言ったら、私は嬉しさのあまり卒倒してしまうかもしれない。

 

 

人の「つまらなそう」さは、情報が開示されたときの「おもしろそう」さに直結する。絶対値が大きければ大きいほど、その反復は巨大なものになる。私も『葬送のフリーレン』といっただけで周りに喜ばれるような人になりたいものである。多分、一生無理だろうけど。てか、今日のブログ、おもんないかも。

 

 

 

 

 

 

今日のアルバム

Fishmans『LONG SEASON』

このアルバムは1曲で35分。

フィッシュマンズらしい浮遊感、35分という時間を確かに体験することによるベルクソン的純粋時間の持続を感じられる。ベースがしっかりしているのでこの長さでも確かな一体感がある。私の友人の一人は週に一回は必ずこれを通しで聴くという自分ルールを設けているらしい。何よりである。

 

 

 

 

 

ホラーイヴェント。

この前Newtypeのみんなで墓荒らしにいったらしぐれが金塊を見つけた。

 

 

 

 

あや生誕。

あやは京都なのに目立つ色のコンビニを建てた罪で現在清水寺の内奥に幽閉されている。

 

 

 

 

せりにゃん生誕。

せりにゃんは夏至の日にだけ歯磨きをする。