楽しんごさんが次回の都知事選に出馬するそうです。うゆです。
「ビーストテイマー」という言葉を知っていますか?文字通り「Beast(獣)」を「tame(飼い慣らす)」する職業のことで、大抵はファンタジー作品において、モンスターを飼い慣らす能力を持った人を指します。
なぜこんな話をしたのかというと、私が先日ビーストテイマーにスカウトされたからです。
病院の診察を終えて代々木付近から新宿駅へ歩いている途中、グリフォンを従えた老練の魔道士風の男とすれ違い、そのときに声をかけられました。男の名前は元木といい、かの有名なプロ野球選手・元木大介の遠縁の親戚にあたるそうです。
私は元木に導かれるがまま近くのルノアールに入り、そこで仕事内容から基本給、福利厚生、それから健康保険などをはじめとする、ビーストテイマーの雇用条件に関する説明や注意を受けました。彼はビーストテイマーの中でもかなり上位のランクを長いこと維持しているそうで、彼の門下に入って修行すれば、十人のうち九人以上は下級職であるペットショップ店員をすっ飛ばしていきなりビーストテイマーとしてデビューできるのだといいます。まあビーストテイマー界ではちょっとしたものですね、と豪語しながら見せたその笑みからは、確かに元木大介の面影が感じられなくもない気がしました。
しかし、私はその時点ではまだ自分がビーストテイマーになるなんて到底信じられない気がしていて、アイスコーヒーをぐびぐび飲みながら熱心に説明する元木をよそに、どこか夢の中にいるような心持ちのままでいました。
小学生の頃、ジャンベという名前のゴールデン・レトリバーを飼っていたことがあります。頭の形が楽器のジャンベにそっくりだったからそう名付けたのです。ジャンベは家族の中でも特に私によくなつきました。私が学校や塾から帰宅するたび、両親や兄が構うのを差し置いて、しっぽを振りながら玄関まで私を出迎えに来ましたし、私だけがジャンベのお腹をいつでも撫でることができました。毎週日曜の午前中にあったテニスのレッスンから帰る頃に、和室にちょうど子供二人が寝転がれるくらいの陽だまりができていて、私たちはいつもそこで互いのお腹を枕のようにして身を寄せ合い、本を読んだりうたた寝をしたりしました。
今思えばジャンベは私の言うことを理解していたような気もします。私たちは言葉以前の根本的な親密さを確かめ合い、言葉によってそれをいっそう深めていました。ジャンベはいつもその灰色に曇った賢そうな目に愛情を湛えて、私がする本の読み聞かせにじっと耳を傾けました。彼のお気に入りはユーリィ・ノルシュテインというロシアの作家の描いた『きつねとうさぎ』という絵本で、きつねがうさぎの家を乗っ取ってうさぎを追い返すシーンになると、自分もうさぎたちの気持ちに同調するように垂れた耳をパタパタと動かすのです。彼が死んで五年が経った今でも、私はジャンベの香しいとは言いがたい口臭と秘密めいた腹の温度をよく覚えていて、思い出すたびにあの陽だまりに戻りたくて仕方なくなります。元木が私に見出したビーストテイマーの才能とやらも、そうした思い出に起因するものなのかもしれません。
「この件に関してはゆっくり考えてくれて構わない」元木は言いました。
「簡単な仕事ではないし、もしかしたら日本に住むことも難しくなるかもしれないから」
私はなおも悩み、少し考えさせてくれと言ってその日はそこで解散となりました。私が食べなかったルノアールの豆菓子を、私の見ていない隙に元木がくすねてローブの胸ポケットにしまったのを私は見逃しませんでした。
近年におけるビーストテイマーの主要な仕事は、ズバリ、悪徳ペットショップの摘発というのに集中しているそうです。現在世界中に約100万人以上存在するとされるペットショップ店員は、大抵上位職であるビーストテイマーの見習いであり、その仕事はWBTA(世界ビーストテイマー連盟、ハーグに本部を置く)によって厳密に管理されているそうなのですが、中には稀に師匠から破門されたビーストテイマーくずれや高利潤目的のモグリのビーストテイマーなんかが経営しているペットショップも存在していて、それらをいち早く発見し、警察組織と連携しながら摘発するのがビーストテイマーの仕事だというのです。他にも保護動物の譲渡や外来生物の駆除など、仕事は動物に関することなら比較的広範にわたるそうなのですが、やはりペットショップ周りの仕事が圧倒的に多いのだと元木は言いました。
確かに私も現代社会の、ペットをはじめとする動物たちの扱い方に一過言ないわけではありませんでした。しかし元木の話によればビーストテイマーの修行は過酷で、短くても10年はかかるということですし、この先私の人生に辛うじて残されたうら若い日々を、その修行のためだけに捧げるというのはどうにも決心が着きがたい気がしました。それから実に一週間もの間、私は悩みに悩み抜きました。
インターネットで調べたところ、ビーストテイマーというのはなかなか人気の職業のようで、2026年版の「小学生がなりたい職業ランキング」ではYouTuber、社長、バーサーカーに続いて4位にランクインしていました。理由としてはやはり動物と触れ合う期間が長いというのが最も多く、その他には「資格さえとってしまえば食いっぱぐれない」とか「給料が良く福利厚生も充実している」とか、収入の面に関するものが多くありました。一方で、ビーストテイマーのデメリットとして、「業界が旧態依然として、保守的な風潮がある」「パワハラで辞めた知り合いがいる」などの意見もあり、働きやすさの面では少々不安の残るところもあります。
果たして自分は元木を信頼し切れるだろうか。私は自分に問いかけました。元木がいかに悪辣非道な男で、私に苛烈な訓練を課そうと、私は10年以上その男に付き従っていけるのか。
私は自信を持って頷くことができませんでした。確かにこれで面倒な就活を免れられるという点では、元木のオファーは願ってもないものでしたが、ビーストテイマーという職業をどれくらい愛せるのかときかれると正直自信はありませんでした。ビーストテイマーとして活躍している自分の姿が全く想像できないのです。思えば小学校の卒業文集には、将来の夢を宇宙飛行士としていました。この決断をやすやすと行ってしまうことは、あのときの自分自身に対する重大な裏切り行為のように思えました。
そしてそれからまた三日、悩みに悩んだ末私はついに元木に電話をかけることにしました。
たっぷり8コールも焦らしたあと、ようやく元木が電話に出ました。
「どうもどうも、それで、あの話については考えてくれましたかね」
「ええ、それなんですが、」
私は元木に今回の話はお断りしていただく旨をできる限り丁寧に伝えました。そのあとで、電話越しに元木のため息が聞こえました。それは失望しているようにも、あるいは仕方ないと淡白に諦めているようにもきこえました。
「分かりました。それじゃ残念ですが今回の話はなしということに」
「そうしてくださると幸いです。お手数をお掛けしてすみませんでした。またどこかでお会いできることを楽しみにしております。」
「ええ、ええ、それはいいんですがね。ちなみにビーストテイマーの弟子になると、最初に三匹の動物から一匹を選んでパートナーにすることができるんですがね、」
「そうなんですか」
今更ながら少し、興味が湧きました。動物次第なら考えてやらなくもないと思ったのです。
「そうなんです。それでですね、今ちょうど空きのある動物が三体、珍しいのがおりまして。それがスカンクとゴミムシと子泣きじじいなんですが」
「やりません」
私は即答して電話を切りました。不思議と後悔はありませんでした。
それきりビーストテイマーの話が私にくることはありませんでした。この顛末は私の青年期の平凡な出来事として、すぐに忘れられていくのだと思います。



