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Y字路の分かれ目に住みたいと思っていた

 はじめまして うゆです。

 

昔からY字路の分かれ目に住みたいと思っていました。自分が寝たり、ものを食べたり、くだらないテレビ番組なんかに夢中になっているとき、すぐ隣の路上ではしきりに右に行くか左に行くかの二者択一が行われているというのは、なんとも奇妙で、抗いがたい好奇心に満ちた日常のように思えたのです。

 

 Y字路。視界の果てに結ぼれるふたつの消失点。魅入られるなという方が難しいでしょう。分度器を使ってたったの1°を測り、そこからどんどん線を伸ばしていって、ふたつの線の先端が互いに離れていくのを面白がった経験は誰にでもあると思います。同じように、ふたつに隔てられてしまった道も、どこまでもどこまでも伸びていけば、やがて全く異質の、永遠に交わらないまま遠ざかってゆくばかりのふたつの惑星か何かにでも繋がるのかもしれないと、幼いころの私は街と宇宙とを接続する二点透視図の真ん中に立って、しばしばあてどない夢想に耽ることがありました。

 

中学にあがってスマートフォンを買ってもらってからは、Y字路を見つけるたび写真に残すようになりました。そして、その一つ一つには分かれ目の真ん中にあるものの名前をつけることにしていました。私が昔住んでいた高台の古い住宅街にはY字路が5つもあって、そのうちの4つは今もスマートフォンに写真として残っています。それぞれ「祠のY字路」「パラボラアンテナのY字路」「葬儀看板のY字路」「黄色い手旗のY字路」という名前がついています。写真を見れば、いや見なくても、私はその場所の風景や音、匂いまで詳細に思い出すことができます。しかし、不思議なことに、あとのひとつについてはどうしても思い出すことができません。Y字路がもう一つあったことは確かに覚えているのに、不思議とその名前も、景色も、場所すらも思い描けないのです。ただ、どういうわけか、そのY字路について考えてみようとすると、決まって私を求める母の呼び声と、幼い私自身の嗚咽とが微かに脳裏に反響するのです。理由はさっぱり分かりませんし、母に聞いてもそんなことは全く覚えていないといいます。思えば、あの街にはもう長いこと帰っていません。   

 

街歩きにおいて、Y字路とは堅物の数学教師が不意に見せる微笑と同じようなもので、それがひとつあるだけで退屈だったはずのよそよそしい風景はたちまち親しみ深いユーモアを帯び、探求への鮮やかな期待に包まれることでしょう。美しさとも猥雑さとも違う、生活における一種の「隙」として、私たちのすぐそばに、誰にとっても等しい形で佇み続けているY字路。ご主人様もY字路に行き当たったらぜひ写真を撮ってご報告にいらしてくださいね。

 

初めてのブログなので、好きなものとそれにまつわる思い出について書いてみました。これからもどうぞうゆをよろしくお願いします

 

 

↓みなさんならこのY字路にどんな名前をつけますか?