うゆです。
ニトリで半額の三節棍を購入し、現在週2でスクールに通っています。
今日は前置き長いので傍線部まで飛ばしてOKです。
ご主人様に東京散歩の雑誌をいただいたので、帰宅してからパラパラとめくっていた。
散歩はもとより素晴らしいものだが、それにひと握りの知識さえ加われば、見知ったはずの風景は好奇心と興奮に満ちた冒険の地図に様変わりする。近道に使っていた道が暗渠の上だったり、ただの妙な形の曲がり角だと思っていた場所が歴史的な事件の舞台になっていたり、私たちが普段現在地から目的地に至るための通過点としてしかみなしていないはずの道には、実は驚くべき新しい発見への扉がいくつも隠れているのだ。何のために、どんな理由で、と言ったように、普段から明確な目的意識という鎖に縛られすぎている私たちは、移動に際しても、その先に待ち受ける目的地ばかりに期待して、過程にある風景との交歓をおざなりにしてしまってはいないだろうか。欲しいひみつ道具の話題になったときには必ず『どこでもドア』が筆頭として挙げられるが、その事実はまさしく我々が移動という素晴らしい過程をあまりに軽んじてしまっていることを示している。確かに『どこでもドア』は素晴らしい道具だ。毎日の通学の悪夢のような通勤電車も、目玉が飛び出でるほど高額な飛行機のチケットも、どこでもドアがあれば全て解決である。私も欲しいひみつ道具は何かと訊かれれば間違いなくそれと答えるだろう。しかし、悲しいかな、この世界にはどう転んでもどこでもドアのような道具は存在しない。存在しようがない。私たちは毎日通勤電車の悲惨な酸欠状態に耐え、ろくでもない飛行機のチケットに大枚はたかなければならない。それならばせめて、避けては通れない長い移動の過程に発見と興奮を期待し、面白いものを探す「街探検」の目で普段の移動ルートを眺めて見ることが、今私たちにできる最良の冒険なのではないだろうか。少し目線をあげれば、つまらない雑居ビルの3階のテナントのチョコザップがいつの間にか閉店(チョコザップの、手の形をしたちょこちゃんというキャラクターのデザインは実に醜悪だ。なんの理由もなく浮かべられた薄笑いは、インターネットに思考の機会を剥ぎ取られ、コミットメント全般を冷笑するようになった若者たちの姿を揶揄している。したがって、私の生活からチョコザップがすっかり消滅してしまうことは本当に喜ばしいことだ)していることに気づくかもしれないし、反対に視線を落として歩ってみれば、臭くて汚いだけの道ばたの側溝に誰かの落とした恋人への熱烈な私信を見つけるかもしれない。とにかく、様々なものを見て、自分をひらかれた状態にし、些細な気づきから多くの驚きを得ようと努めることが、移動という徒労を楽しむ何よりの秘訣になる。
ちなみに、私は歩いているときにクレーンを見つけたら必ず写真を撮ることにしている。クレーンの高さと、無骨な骨組みの集積で空間を掴もうとする営みは美しいから。
最近は、ご主人様にいただいた雑誌の影響もあり、陣内秀信の『東京の空間人類学』という本を読んでいる。東京の地形と、過去におけるその利用の変遷を比較しながら、現在に至る東京の景観を分析するという内容で、筆者の機知にあふれた論考と正確な分析とが光り、都市論界隈ではひとつのバイブルにもなっているらしい。この内容について、自分で勉強したことも含めて少しだけ紹介したい。
そもそも、東京の地形は、多摩川から発したものをはじめとして形成された扇状地が隆起し、その上に富士山や箱根山などの火山砕屑物、すなわち「関東ローム層」が積もってできた「武蔵野台地」と、利根川などによって運搬された堆積物がその周りで陸地化した低地とで大まかに形成されている。
成り立ちからも推測できる通り、武蔵野台地は低地に比べて標高が高く、両者の間はその高低差のために切り立った崖になっている。例えば、私が昨年見に行った板橋の「崖線(がいせん)」は、まさにこの断崖にほかならないし、エドワード・モースが大森貝塚を発見したのも同じような断崖である。
さて、都内でも特に要所の集中する山手エリアはこの武蔵野台地の東端に位置し、古くから大きな武家屋敷の集まる高級住宅街として栄えてきた。
扇状地を成り立ちとする武蔵野台地は、西から東にかけて下降する傾斜地となっており、それにつれて流れる河川は、下流へ行くにつれ次第に合流し勢いを増す。東側に位置する山手エリアは勢いを増した河川の激しい侵食作用を受け、通称「舌状大地」と呼ばれる、ちょうど舌のような形で平地に突き出た景観を成すようになった。特に港区や千代田区、文京区、新宿区といったエリアは、この「舌状台地」が谷あいに連続する地形を特徴としている。「〜台」とつくような地名が都内にいくつか見られるのはこのためである。
このように、川の侵食作用は、舌状台地によって成る高所の「尾根」と、それらの間の低地としての「谷間」という2種類の地形を生んだ。そして、火山灰層の上にあって水はけがよく、水害の心配もないうえに、高台から広く景観を見下ろすことのできる尾根を中心として、支配者層のための武家屋敷が建設されていき、同時に、川の近くであるため生活用水の確保が比較的容易でありながら、水はけも悪く、水害の危険性の高い谷間には、庶民を主体とする生活の場が形成されていったのである。例えば、Newtypeのある秋葉原から湯島や御茶ノ水のある本郷エリアへ歩いていくと、続く上り坂を越えていかなければならないが、あれはまさしく秋葉原が庶民生活の場である低地に位置し、反対に本郷が支配者層の住む山手エリアに位置しているからなのだ。実際、街の景観を比べてみると、秋葉原には賑やかな商業ビルが立ち並び、巨大な市場は多くの人々で賑わっているが、本郷には東京大学(東京大学の後者は元々加賀藩上屋敷だった)を始めとする教育機関が多く位置し、大きな神社も置かれ比較的閑静な様相を呈していることが分かる。このような違いは現在の地名にも残っていて、「渋谷」「鶯谷」「秋葉原」のような、谷や湿地をイメージさせる地域は今でも居住区というより人で賑わっている街になっている。(これは「麻布台」のように改名されたり、「池袋」「四谷」のように高低の中間にあったりするものも多いので、やや眉唾である。)

引用:田中千尋「東京の地形を読み解く④ :山手線の地形考」『日々の理科・田中 』第113号(2014)[https://kitakaruizawa.net/rika/2014_1011-113-yamanote.pdf]6月24日閲覧。
引用した画像を参照すると、実際の東京の高低差がよく分かる。
青く塗られた谷間部分には川が走り、そこが侵食作用によって削られたことを読み取ることができる。川がないように見えるものは、かつて川があったものの、すでに埋め立てられたか、暗渠になって地中を流れているパターンだ。それを踏まえて、下から尾根と谷間の高低を辿っていくと、
・目黒川
・恵比寿や目黒の位置する尾根→芝・白金台地
・渋谷川
・港区に至る尾根→赤坂・麻布台地
・尖端を皇居とし、千代田区に至る尾根→四谷・麹町台地
・新宿区から伸びる尾根→牛込大地
・神田川
・池袋、目白から伸びる尾根→小石川・目白台地
・巣鴨、駒込から伸びる尾根→本郷台地
・田端、日暮里、鶯谷を縁に見る尾根→上野大地
といったように、東京という都市が、舌状に飛び出した高地と川に侵食されてできた谷間とが交互に入り組んだ地形の上に成立し、その高低差に合わせて、それぞれの土地が異なる文化を育んできたことが分かる。人間と空間とが密接に絡み合いながら、今の私たちの生活を形作ってきたことを考えると、普段当たり前に利用している電車や通勤ルートが、近代史、古代史、果ては地球史とまでも接続していることに感嘆の念を覚えずにはいられない。是非、お時間のあるときに東京散歩を試してみていただきたい。
長くなってしまうので今日はこの辺で。
今日のアルバム
Sunny Day Survice『いいね!』
メロディーはキャッチーなのにローファイの音質とちょっと根暗っぽい歌詞が不思議な感じ。ジャケットはシャバい大学生が着てそう。
もにゅのブログに8/17空けておけと書いてあったので、一応それも告知しておきます。
せりにゃん生誕
せりにゃんは毎晩ビート板を抱いて寝、ビート板の夢を見る。
ちさと新衣装お披露目。
ちさとはマリオカートでチートを使って「魔人ブウ」を使用可能にし、世界大会にぶっちぎりで優勝した。
七夕イヴェント
フワちゃんが深いクレバスに落ち続ける夢を毎晩見てうなされますように。
夏祭りイヴェント
嘘雑学…金魚すくいは客から200円以上取らないと普通に原価割れする。