超絶可愛い女装メイドの居るお店
男の娘カフェ&バー NEWTYPE
営 業 日:月曜~日曜・祝日
営業時間:18時~23時 (金土は~翌5時)

6/11 親友のこと

(2025 6/11に非公開にしていたものを、他に出す場所もないし、最後なので公開することにします。)

 

カーズは今も宇宙のどこかをさまよっている。のび太が食べきれなかった栗まんじゅうはまた5分後に倍になって宇宙空間を埋め尽くす。私たちは夜、それらの姿をはじめて微かにみとめることができる。

 

夜というのは空が透明になることだから。

私はそんな夜が好きであり嫌いでもある。

 

夜の散歩は何も見えない。夜は本当に見たいものを何も見せてくれない。いちばん大切だった友達にそう言ったら、気まずくなって、許せなくなって、そのまま、二度と合わなくなってしまった。もう会うことはないのかもしれない。彼女の夢を最近また見るようになった。夢の中でしか彼女に謝ることができない。でも夢は結局私だけのものだ。彼女はきっと私の夢なんてみないだろう。

 

私たちはそれぞれぬいぐるみサークルの幹事長と副幹事長だった。彼女のつくったサークルに私が参加して、もう一人の子と3人でそれを一生懸命大きく育てたのだ。私たちの間には大抵ぬいぐるみがあって、彼らがときに強くぶつかり合う私たちの心どうしを優しく結ばせた。

 

私の友人の1人が自殺したことを知ったあと、彼女と裸足で池袋を歩いたことがある。夏だった。陽に灼けたアスファルトが足の裏をヒリヒリと焦がした。気の済むまで走り回って、買ったばかりのYMOの7インチレコードはカバンの中でぐしゃぐしゃになってしまった。私たちは首都高下の日陰に逃げ込んで、生と死について話した。生きているのと死んでいるのとどっちが本当の私たちなんだろう。世界だ。生と死じゃない。世界だけがここにあるんだ。

 

 

彼女の愛していたアイドルが容姿を苦にして自殺した日の夜、私たちは終電がすぎてもなお高円寺をぐるぐると歩き回り続けた。日中気まぐれみたいに降りつけた雨の名残がアスファルトにくぐもった匂いとなって残っていた。彼女は戦争が始まればいいのにと言った。戦争が始まればあの子も自分の二重幅のことなんて気にしなくてもよくなるのに。私は何も言えなかった。歩行者ボタンの押されないまま頑として沈黙する赤信号の光が彼女の目に反射して真っ赤に燃えていた。空襲の空みたいだと私は思った。今私たちの上空をゆくのがボーイングのジェット機でなく大量の爆弾を積んだB29だとしたら、彼女はどんな顔をしたのだろう。

 

 

幼稚園から女子校育ちだった彼女は女としての自分の姿を受け入れるのに苦しんでいた。ものを食べなくなって、睡眠もろくにとらなくなった。風俗で働こうと思ったんだけど。お母さんになんて言おうか考えているうちにどうでもよくなっちゃった。それでも、彼女は自分が女であるという事実からは逃れられない。

 

 

高校生のころ、修学旅行を途中で抜け出した彼女は、郊外のつまらない映画館でつまらないホラー映画を観た。長年つけて手首によく馴染んだ腕時計を叩き壊して、そのとき彼女は新しい時計をつけることにした。それはベルトも太く盤も大きな、高校生の女の子にはいささか無骨なデザインの時計だったが、彼女はそれが自分にとって何よりも正しい時間を刻むのだということが、もう誰に言われなくてもとっくに分かっていた。

 

 

彼女は聖書の言葉を教えてくれたし、タルコフスキーとか、ランボーとか、本当に美しいもののことを考えるきっかけをくれた。

 

 

だからずっと、もちろん今でも、私の世界には常に彼女の影がある。私の書く文章はすなわち彼女の書く文章だ。私が文章を書くのは、その間だけ彼女自身として彼女の全てを分かった気でいられるからだ。

 


あなたの好きな言葉を教えてよ、私が厚かましく言った一週間あとで、彼女は本を4冊プレゼントしてくれた。『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』(桜庭一樹)『われら』(ザミャーチン)『めがはーと』(横槍メンゴ)『惑星9の休日』(町田洋)。

 

お礼に私もと、『ノルウェイの森』(村上春樹)を渡した。その頃はまだ、村上の眼差しの独善性について考えることもできなかった。

  

 

ある日、池袋のカフェで彼女が取り出した本は『金閣寺』(三島由紀夫)だった。私が取りだした本も『金閣寺』だった。私たちは必然の一致にひとしきり笑い合い、全く同じ一冊の文庫本をそれぞれ交換しあった。私に文学を教えてくれたのは彼女だった。私たちはそれからずっと本の贈り合いを続けた。

 

 

彼女の読みかけだった『さよならは仮の言葉』(谷川俊太郎)が、私が彼女から貰った最後の本になった。さよならが本当に仮の言葉だったのだとしたら。東西線門前仲町の最終電車で、私は彼女に「またね」と言わなかった。多分「さよなら」といったのだと思う。本当にさよならは仮の言葉なのだろうか。私があのとき本当に言いたかった言葉はなんだったのだろう。

 

 

さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ。

To say good bye is to die a little.