嘘です。うゆです。
ガイモンさんの宝箱を空っぽにしたのは私です。
この前「ののあ」と新宿へ遊びに行ったとき、生まれて初めてマーラータンを食べる機会に恵まれた。
国連マーラータン振興機関(UNMAO/アンマオ)の職員というもうひとつの顔を持つののあ氏は長年の経験で蓄えた潤沢な知識を遺憾なく発揮し、おすすめの味付けから効率的な具材選び、着席時の理想的な姿勢に至るまで、最高のマーラータン体験を得るためのあらゆる重要事項を共有してくれる。その横顔は実に真剣そのもの、鋭い眼光でマーラータンを見つめる氏に私もマーラータンへの向き合い方を再確認するとともに、氏が体現するプロフェッショナルの矜恃をひしひしと実感せずにはいられなかった。
氏のおかげだろうか、一口目のスープを喉に流し込む否や、すぐにマーラータンの虜になってしまった。深紅のスープの表面に薄く張った油は店の清潔な照明をうけて虹色に輝き、全身を温順な熱に満たす。そこから顔をのぞかせる春雨の透き通る光は神秘の鉱床のようですらあり、その心地よい歯ごたえが与えてくれる甘美の咀嚼運動に思わず私の体は震えた。一口、また一口と箸を進めていけば、氏が厳選した最高級素材の一つ一つが心を踊らし、虹色に移り変わる風味と食感の音階を奏でる。キクラゲ、湯葉にひよこ豆、だし巻き玉子は黄金の難破船。いぶりがっこが春雨のプツプツとした歯ごたえに対抗しつつスモークの深い味わいを口いっぱいに広げたかと思えば、ハムカツの豪快な弾力が食欲のエンジンを再び叩き起す。花椒の大地を揺るがす刺激が発汗を促し、水を飲み干せば不安に満ちたパースペクティヴにすら虹がかかった。これは食材の世にも愉快な饗宴、ジュエリーボックスの奇跡みたいな爆散である。
私はあまりの感動に涙を流し、そしてその涙の塩気すらもがマーラータンの絶世の輝きを彩るアクセントになった。氏は私の驚嘆に満ちた衝撃の食事体験をキリストを撫ぜるピエタの聖母みたいに美しい目つきで見つめ、その艶めかしくも果てしなく気品に満ちた手つきをもって割り箸をぴったり真ん中のところで割ると、ご自身もおもむろにマーラータンをおすすりなさりはじめた。その様子は実に優雅、暮れかけの田園風景を音一つ立てずに飛び去ってゆく白鷺のごとく流麗である。これがUNMAO職員による本気のマーラータンとの向き合い方か。私はうっとりして、今度は彼女の横顔をただ見つめ続けていた。
スープを飲み干した傍から汗は引っ込んで冷房の正常な風に乾いていく。私とマーラータンの喜びに満ちたダンスタイムの存在をいまだに示してくれるものは、今や汗が乾ききったあとの皮膚の微妙な強ばりばかりになってしまった。私は溜息をつき、喪にふくすような気持ちのまま黙ってマーラータンのからになった丼を見つめた。そしてサンサーンスのクラシック・コレクションが静かに流れる店内で私はひとり、一日でも早いマーラータンとの再会を固く誓ったのである。
後日、私は別の複数の店を回ってマーラータンの食べ比べを行い、自分好みの味の傾向をおおよそ把握したあと、スーパーマーケットに寄って各種食材を買い集めると、それからは毎日理想のマーラータンづくりの研究にひとり励み続けた。
その結果、KALDIの麻辣醤、豆板醤と甜麺醤をそれぞれ小さじ2、鶏ガラスープは多めに、五香粉とクローヴは少々。花椒は粉末とホール、ミルで挽いたものも合わせてたっぷり。キャベツとピーマン、キクラゲ、それに豚肉を少し炒めてから沸騰するスープに投入し、一通り煮えたらその間に柔らかめに茹でておいた春雨を投入。最後に豆乳を加えて完成、という手順を一通りマスターし、今では一日4食マーラータン生活を送る中で常に腹痛である。
マーラータンをただのファッション・フード(流行食物)と侮るなかれ。丼ひとつに秘められた食材の底知れぬ可能性は我々の感情をことごとく揺さぶり、味覚の生物としてこの世に生まれ出たことそのものの悦びでいっぱいにするだろう。no 麻辣味 no ライフ。この場を借りて、私にマーラータンとの出会いを与えてくれたUNMAO職員・ののあ氏に厚く感謝を申し上げたい。
今日の1曲
茶漬けさん生誕。
茶漬けさんは幼少期セイヨウミツバチのコロニーに育てられていた。
もにゅ生誕。
実はHIKAKINのボイパは全てもにゅのアテレコである。(SEIKINも)