うゆです。
マイブームは落穂拾い。
箱根旅行のことを書こうと思う。今回は一日目。
メンバーはアイリとマコト。マコトが宿や車の手配、長時間の運転まで担当してくれた。
昨日のブログにも書いた通り、旅の始まりは私のせいでしっちゃかめっちゃかになってしまったが、それでも2人は嫌な顔ひとつ見せず私を迎え入れてくれた。本当に、頭の下がる思いだ。
予定通りにいけば昼の1時くらいには現地に着けるはずだったのだが、私の常識では到底考えられない出奔のために到着は恐らく3時か4時になるだろうということだった。
過去からやってきたように色褪せた光のさす首都高は美しい。日差しは乱立したビルの壁面に何度も反射した末に車に乗る私たちの目を焼いた。荒れる大波のように幾本もうねる高架が10メートルごとに予想もしなかったかたちを取り、巨大なトラックが飛沫のように現れては消えを繰り返す。そしてスピード。そこには素晴らしいスピードがあった。時速100kmで押し寄せてくる情報の波をかき分けて進む。コンクリートの濁流、軽い吐き気を催す。定点観測すれば微動だにしない傲岸な無機物のジャングルは、その中心を走ってみれば実は緩慢にではあるが動き続けていることが分かる。埃っぽく沈黙した過去の夥しい死骸を乗せて。首都高をつくった人類とは大変美しい生き物だと思う。
高速道路を走っていると、自分はあの建物の中の匂いを一生嗅ぐことはないんだろうなと思って勝手に寂しい気持ちになる。死ぬまでにひとつでも多くの建物の中の匂いを嗅ぎたいものだ。
途中、海老名サービスエリアで休憩した。バスキンロビンスを生まれて初めて食べた。アイス大好き人間なので嬉しかった。
マコトが持ってきてくれたちっちゃいマイクとスピーカーみたいなのを使って、みんなで歌を歌いながら目的地まで進んだ。アイリの平成ソング・リサイタルは大変心に染みた。
箱根に着いたころにはもう4時をまわっていた。アイリが見つけてくれ、マコトの予約してくれた旅館はひなびているがこぢんまりとしてどことなく居住まいのいい雰囲気がした。外国人の宿泊客も多いようだが、手入れの行き届いた館内はひっそりとしている。
トイレは共用だが、私たちにとって幸運なことに、内湯と露店がふたつづつ、計4つある浴場は全てが貸切のシステムをとっていた。フロントから貸出中の札をとり、脱衣所の鍵を絞めればもう他に誰も入ってくることはない。言うまでもない事だが、これは願ってもないシステムだった。
ひととおり館内や部屋を探索すると、私たちは駅前の観光地を見にいくことにした。ほとんどの店は5時か6時には店じまいしてしまうようだったから、少し急がなければならなかった。
その日の街は確かに終わり始めていた。それでもめぼしい店はまだ残っている。私たちは土産物店やせともの店、ありふれた宝飾品店のいちいちを冷やかして歩いた。
正直同じ観光地には生涯に何度も行くし、その割に景色が何かしら変わるわけでもないので特に真新しいものもない。しかし、だからこそそのときの体験は特別なものに彩られるのだと私は思う。旅行先という特別な場所でありながら観光地というごくありふれた場所でもある、そのような独特の二面性こそが、その時ごとに違う同行者の個性を強く輝かせ、体験を何ものにも替えがたい個別のものにするのだ。それにおいて、アイリとマコトの2人はこのうえない友人たちだった。この旅が素敵なものになったのは紛れもなく2人のおかげだ。
それからマコトの運転する車は芦ノ湖へ走った。つづら折りになった山道に忙しなく切り替わるシフトレバー、車はその度ごとに唸り声を新しくしながら、日の落ちかけた道を進む。
芦ノ湖周辺の店はおおよそ閉まっていた。人通りもほとんどなく、見渡す山々の間に夕闇の深い群青が広がりつつあった。覗き込んだどす黒い水面には私の顔が醜く歪んでゆらゆら揺れている。腹いせに手近な石ころを掴んで投げ入れると、像は乱暴に崩れてすぐにもとに戻った。そこに私の姿はなかった。
山の向こうから微風が吹き込んできて、水面には小さく波がたっていた。誰もいない船着き場に停泊する遊覧ボートが揺れ、時折鈍重に軋んで気味の悪い声で呻いた。世界の終末のような景色を前にして、私たち3人は無理やり大きな笑い声を上げた。アイリがずっとポケモンのシオンタウンの怖いBGMを流してきて怖かった。
箱根の市街地に戻って夜ご飯を食べた。私がお魚を食べたいといったので2人が合わせてくれた。空いているお店が少なかったのもあって一時間くらい並んだ。並び列の脇でずっと魚を焼く美味しそうな匂いが漂っていて、ギリシャ神話のタンタロスになった気分になった。(神の食べ物ネクタルを盗んだ人間の彼は、生涯飲食のできない罰に処された。食べ物はからの手を逃れ、水を飲もうとすれば水位が低くなった。)
私は焼き鮭定食、2人は干物定食を注文。焼き鮭は食べやすかったが、干物は食べづらそうだった。焼きたての鮭は皮が程よく焦げていて、ジューシーで甘みのある身と一緒に食べると食感と香りのバランスが抜群だった。鮭はすごい。刺身にしてもいいし焼いてもいい。ムニエルからカルパッチョ、シンプルな焼きも悪くない。かと思えばいくらだって美味しいのだから驚嘆の一言だ。鮭は食べられるために生まれてきたと言っても過言ではないだろう。
そんな感じでめちゃくちゃ美味しかったが、残念ながらご飯が足りなかった。今回の旅の全体を通して言えることだが、白米が足りない!米価格高騰の影響?あるいは観光地での食べ歩きを懸念して量を減らしている?余計なお世話である。強気の観光地価格を出しているのだからせめておなかいっぱい食べさせてほしい。
宿に戻った私たちは露天風呂に行った。もちろん貸切である。
どうせならと館内着でなく旅館で貸し出してくれている浴衣を着ていった。
浴場はまさしく自然の中に据え付けられたといった趣で、設備は決して新しくはないし外からも覗き放題だが、よく手入れが行き届いていて管理している方の実直さを感じた。
露天風呂でアリや蛾、小さい羽虫の類をいちいち気にしていたらキリがない。昔入った露天風呂に、「お風呂に入りたい虫さんたちもいます。」という注意書きがあって優しいなと思ったことがある。だから虫は多かったが気にしないで入ることにした。
お湯は源泉かけ流しでやや熱め。匂いは薄い。能書きはなかったが体がゆっくりぽかぽか温まってくるいいお湯だった。貸切なので3人で写真を撮った。(もちろんお見せできません^._.^)
部屋に戻って酒盛り。みんなすぐに飲み干してしまったので、もっとお酒を買えばよかったと思った。浴衣を着てトランプをしながらお酒を飲む旅館の夜。これでいいのだ、と頭の中でちっちゃいバカボンのパパが笑う。初恋の思い出をうちあけあったり、Newtypeのみんなの似顔絵を描いたりして、とても楽しい時間になった。
一日目はここまで。疲れたし午前中は私のせいで散々だったはずだが、2人のおかげで素晴らしい思い出ができた。ゆっくり寝て明日に備えよう。自分の寝息を3回と聞かないうちに意識は遠く夢の中へ。
今日のアルバム
Rei Harakami『[lust]』
細野晴臣や矢野顕子との共作経験も持つRei Harakamiの代表作としても知られる一枚。細野晴臣の「終わりの季節」のサンプリングも収録されている。シンプルなエレクトロニカで、引き算の情緒性というのか、要素が少ない分空白の美しさが演出され、素朴に形を変え続ける音の構造に春の寝覚めのような期待が香る。
ういなさん生誕。
ういなさんは宇宙葬を望んでいる。
ホラーイヴェント。
13日の金曜日イベント『NTホラーナイト!』開催のお知らせ!
しぐれは「This Man」の正体を知っているばかりか、サシで飲んだこともある。
せりにゃん生誕。
せりにゃんはノシシのアンチ。